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 モチベーション(動機付け)


 年を取って80歳以上になっても元気に活動している人は沢山いる。『年寄りの暇つぶし』でも紹介したように、高齢者に対する就業機会はないわけではないが、少ないと考えられる。働いている人たちが元気なのは、私が思うにモチベーション(動機付け)の存在で、生き甲斐に結び付く最大要素だといっていいだろう。
 私が考えるのは、働いていない人にどうやった、生き甲斐を感じさせるモチベーションを与えることができるかということである。多くの高齢者がやることもなく「いつ死んでもいい」などという言葉を発する。
 健康でスポーツや趣味に打ち込んで充実した人生を全うできる一方で、金もなく将来すら自己否定する人の存在があるのを見過ごしてはならない。
 ここまでくるとこれはその人の心の問題である。そこに道を開くのは、心理学や哲学そして宗教である。心理学や哲学は取り付きにくい。そこで誰にでも開かれているのが宗教ということになる。宗教はもともと人の心を救済することにある。それ故に1000年以上の歴史に耐えてきたのである。最澄と空海、天台宗と真言宗は別格として、より大衆に広まって行った法然、親鸞、日蓮そして道元が求めた仏の世界は形こそ違え、人の救済(よりよき死への導き)である。「南無阿弥陀仏」の浄土宗・浄土真宗、「南無妙法蓮華経」の日蓮宗はお経上げることで救済されると、非常に分かりやすい。道元禅師の「禅」は少し趣きを異にする。今私がチャレンジしているその思想の解明であるが、むろん宗教的色彩は強いが哲学的・思想的要素も多く含まれている。それもまた救済への道のひとつである。
 前者が念仏を唱えることが修行の道。後者は「只管打坐」といってただ「無・空」の境地で座禅を組むという修行の道のちがいである(同じ流れを汲む大乗仏教の中には「般若心経」を唱える宗派もあるが、道元禅にはお経も文字もない)。
 生き甲斐となる動機づけに、宗教の道に入りこむ人は多い。とくに人に称賛されるわけでもなく、達成感は感じられないものかもしれないが、余生に残された時間を仏の世界と向き合うのも、一つの選択肢になるだろう。(2017.8.24)


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