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2015.2.3 節分・恵方巻
 今日は節分。そして明日は立春。
 やっと春が巡ってきた。特に今年の冬は予報外れの厳しい寒さが続いただけに、待ち望んだ春が「やっとくる」という感がある。
 節分は「季節を分ける」ことの略語とでも言おうか、立春の前日を指し、大寒最後の日で、寒さのピークでもある。
 家々では夜になると、戸を開け広げて「福は内、鬼は外」と声を発しながら、福豆(炒り大豆)を撒いて、その後自分の歳の数だけ豆を食べる厄除けを行うのが慣わしだ。私は還暦を過ぎてから、そんなに食べられないので、10分の1にしている。多分大概の年寄りはその位が適当と考えていることだろう。
 今回のコラムは、この行事に加え恵方巻について触れてみる。
 恵方巻というのは、節分の夜にその年の健康を祈る縁起物として定着している。
 これは行事であるので、食べ方に一定のルールがある。以下、次のような作法だ。
「恵方巻きは、目を閉じて願い事を思い浮かべながら、恵方に向かって(今年は西南西:西の一つ南方向)無言で一本丸ごと海苔巻を丸かじりする。巻き寿司を切らずに一本丸ごと食べるのは、縁を切らないと言う意味が込められており、七福神に因んで、かんぴょう、きゅうり、伊達巻、穴子、おぼろ、椎茸煮、海老など(地方色が出るが)七種類の具材が入れられる(セブンイレブン調べ)」
 これには「福を巻き込む」という願いが込めらているのだそうだ。
 この起源は江戸時代末期、大阪の船場で商売繁盛を祈願をする風習として始まったと言われている。元々は「節分の巻きずし」とか「幸運巻きずし」と呼ばれていた。
 恵方巻と呼ぶようになったのは、つい最近平成元年に広島のセブンイレブンの個人オーナーが名付けたものが、ヒットして定着した。

2015.2.5 陽だまりを選んで歩く
 2月某日快晴風弱し。絶好の散歩日和なので、国道沿いに横浜駅まで歩いてみた。陽だまりを選んで歩いたので、全身に日光を浴び暖かさが全身に広がる。腕時計の温度計は20℃を示している。日陰との温度差何と10℃もあった。
 日が燦々と降り注ぐなかを歩くと、体全体が解きほぐされ、こころまで緩むようだ。結構厚着して出たので、寒さは全然感じない。むしろ汗ばむほどだ。
 存分にお日様の恩恵に浴し、歩きながらの日光浴を満喫できた気分だ。日の当たる箇所は顔面だけだが、衣服を通して熱は十分に体に伝わって暖かさが全身に及ぶ。
 この日光浴に関しては功罪があるが、今の時期なら功が多い(残念ながらこの記事を掲載する2月5日は大雪の予報が出ており、寒さがぶり返すことになりそうだ)。
 その功であるが、ビタミンDの作用が大きく影響しているという。
 少し調べてみると、ビタミンDは、皮膚が太陽光、正確には紫外線Beta波に晒されると体内に生産される。このため別名「太陽ビタミン」などとも言う。その効果は絶大で「
ビタミンDレベルが最適な高齢者は、低い人に比べ認知機能障害のリスクが半減する。特筆すべきは、ビタミンDは長寿効果がある。
「血液中のビタミンⅮ濃度が高い人ほどすべての原因による総死亡リスクが低くなるという研究結果がある」とあり、諸々の有益な働きがあるということだ。
 天気のいい日には、なるべく外に出て沢山陽を浴びるよう努め、もう少々世にはびこることにしよう。

2015.2.9 リモコン時代
 今ではどこの家にもリモコン(リモートコントローラー:遠隔操作機器)が何台かはあるはずだ。
 我が家でもテレビ、エアコン、オーディオ機器などの操作には、リモコンを使う。リモコン無しでは何も操作できないぐらいになっている。他にも照明の照度切り替えや電源の入り切りもリモコンで操作できるものがある。
 そうなると電気器具の数だけリモコンが必要になり、数が増えて、どれがどの機器のか分からなくなる。
 そこで、我が家では、通販で学習型リモコン(ソニー製:ソニー方式)を買って、それぞれのリモコンの発する信号を覚えさせて、一台で足りるようにした(エアコンは別方式なのか個別のリモコンを使用)。
 こうしてみると、リモコンは確実に電気製品の操作の要として浸透してきていることが分かる。
 他にも私のタブレット端末でも、写真をリモコン撮影するソフトが入っている。実際に使ってみると画面を見ながら操作するので、自分だけ下を向いて写っていたりして、昔ながらのタイマー撮影のほうが自然な姿を撮れる。まだ実用には達していないようで、タイムラグを持たせてシャッターを切るような工夫が必要だと思う。
 自分の使うリモコン以外で、一般的に普及しているのは、模型の世界で各種の玩具がリモコンで動かされている。模型飛行機やジオラマの鉄道、ロボットと枚挙に暇がないほどだ。特にロボットの世界では、原発事故以来急速に発達している感がある。電脳社会ではリモコンは欠かすこと出来ないツールとなることに間違いない。

2014.2.13 イヤフォン(mono)
 日々の暮らしの中で楽しみは欠かせない。その一つに音を楽しむということがある。
 主に音楽であるが、生で聴くのが一番だが、一流アーティストの公演に行くのなどという機会も少ないし、経済的にも難しい。
 そこで、生を録音したものを聴くというのが一般的である。世界中のアーティストをCDに収めたものを、ツタヤなどでレンタルして聴くのが安上がりで、コピーも可能だ(違法だと思うが)。
 ここからが本題。ひとり誰にも煩わされず音の世界に浸るのに、私はイヤフォン(イヤホン)を使う。ヘッドフォンは音質はいいが、散歩用には不向きだと思う。
 このイヤフォンなるもの、まさにピンからキリまである。安いのは100円ショップのものから、高いものは2万円もするもの(価格コムでは売れ筋は2万円以上)まである。
 イヤフォンの方式(密閉型が多いが、外部の音が遮断されるので散歩には使えない)により音質は違うが、100円ショップのものは音質が悪く、素材も壊れやすいので、ニュースなどの番組を聴くぐらいが限界といえよう。
 壊れるのは高額品でも同様で、壊れやすさの共通点として、イヤフォンジャックの差し込み口でイヤフォンケーブルが断線しやすい。被膜のビニール部分が裂けて中の銅線が見えたら寿命と考えていいだろう。
 もう一つの問題点は、人の耳の穴は左右対称ではなく、微妙に形状が異なっているようだ。
 私の場合左側の耳の入り口が引っかかりが弱く、イヤフォンが直ぐに抜け落ちてしまう。値段に関係なく抜けやすい。
 最近になってシリコンキャップのついたスポーツ用のイヤフォンを入手した。これは捻り込むような形で耳にセットする。シリコンなので、粘り気があり、抜け落ちない。音質も良い。つい最近発売されたもので、これはヒットの予感がする。

2015.2.16 風花
 晴れていた空に、急に薄雲が広がり、冷たい風が顔に吹き付け、何やら白い粒が宙を舞っている。まだ、日差しが残る中、自在に舞うこの白い粒の正体は、冬の名残の「風花(かぜはな・かざばな)」と呼ぶものだ。
 日本海側は大雪で風も強いということだから。その一部が太平洋側まで流れ込んできたせいだろう。
 風花や さがす言葉の すぐに消ゆ (笠井美和子)
 風花は、晩冬の季語だそうだ。この句にあるようにほんの僅かな時間だけ、人の心に囁きかけ、すっと消え去る。
 こんな時は頭の中に文案が浮かぶものだ。急いで近くのコンビニに飛び込み、100円コーヒーを注文し、店の一角に設けられたドリンクコーナーに席を取る。
 浮かんだ文節が消えない内に筆を走らせる。どうにか文脈がまとまりかけ、ふとガラス越しに空を見ると、一塊の雲に夕日が映えて赤く染まっていた。
 一段落したところで、外にでると、普段の寒々とした夕暮れ時に戻っていた。
 こんな時は、何となく感傷的になり、心が侘びしくなるものだ。そんな思いを振り切るように、家路を急ぎ、ふと道端を見ると、秋の七草の時は元気の良かったススキが、うらぶれた姿をして、それでも大きく頭を垂れ、立ち枯れていた。
 こんな一句が浮かんだ。
 道の端に ポツリ残りし 枯れすすき (風楽) 

2015.2.20 テレビ懐古
 テレビ視聴の歴史は長く、かれこれ60年を超えている。
 初めてテレビなるものを見(視)たのは、街の喫茶店で、プロレス全盛期で力道山がアメリカのシャープ兄弟と戦う勇姿だった。そのインパクトはカルチャーショックと言ってもいいほどだった。
 当時はテレビは限られた人達が所有するもので、商店の客引きとして設置したものを見るのが一般大衆の娯楽となっていた。普通の家庭では、放送といえば、ラジオが中心でまだ真空管が幅をきかしていた時代である。
 テレビの画面もブラウン管という真空管の一種であった。箱の中の部品も大小の真空管で埋められていた。その入れ物の箱が木製の木目が出ている高級家具と見紛うものだった。今思い返すと、箱の上の方にブラウン管が鎮座しており、周囲の枠やスピーカーの部分のほうが広かった気がする。
 やっと一般家庭にテレビが普及し出したのは、昭和40年代だから、街頭で見てから10年以上も経っていた。丁度車の普及に似ている。シャープが比較的小振りで手頃なテレビを発売し、それが爆発的にヒットしたと覚えている。
 チャンネルの切替はダイヤル式で、ガチャガチャと音を立てて回して、お目当てのテレビ局を選択するもので、当初は珍しくて、理由もなく回していたものだ。テレビとはいえ真空管式だったから、年中故障した。当時は電気屋さんが家まで来て故障を直した。今とは違って全て手作業で、「買い替えたほうが安いですよ」などという、消耗品扱いにされることはなかった。
 今は昔、懐かしい「3丁目の夕日」の時代のテレビ懐古の一幕。

2015.2.23 ティッシュペーパー
 この寒い季節、一種の鼻アレルギーなのか、外気に触れるとミズッパナが止まらない。文章にするのも、憚られるが、同様の悩み(花粉症の人)の人も多いことだし、そう言った人たちの必需品ティッシュについて、あれこれ考えてみた。
 外出する時はあちこちのポケットに、何個か忍ばせておくことにしている。
 2〜3時間外を歩くと、一袋では済まないこともあるからだ。
 最近のポケットティッシュは材質が良く、滅多なことでは鼻の下が赤く擦れてしまうこともない。
 ティッシュは、何も鼻をかむ事だけが用途ではない。色々と使い道はある。
 話をティッシュはそもそもどこで生まれたのかに遡る。
 英語ではfacial tissueという。アメリカ生まれなので、製品名をとってKlinexと呼ぶのが一般的で、ティッシュペーパーと言うと、包装とかトレーシングに用いる半透明の紙のことを指すのだそうだ。
 さて、使い方だが鼻をかむ以外にも色々と思い当たる。
 例えば、喫茶店でコーヒーカップが揺れて溢れることがある。そんな時はティッシュを取り出して、さっと拭き取るなどはよくあることだ。
 冬のマイカーの窓ガラスは曇りやすい、そんな時ティッシュの一拭きが安全運転につながる。
 他にもある。店でドーナツなどを食べ残した時など、持ち帰るのに重宝される。ちょっとした汚れなども、クリーナーの溶液を染み込ませて拭き取るとことができる。
 メガネなどの場合は、埃でレンズを傷つけてしまう事もあるので、水洗いするなどした後ティッシュで拭き取るようにした方がいい。
 顔の脂取りなどにもよく使われる。最近は濡れティッシュなども100均ショップで売っているので、使い分けるといい。
 ここまでは自分で実際使っている方法だが、これなどは一例で、もっとアイデアに富んだ使用法もあることだろう。

2012.2.26 描くのも面白い
 人には見(視)たり、聞(聴)いたり、書いたりする楽しみがある。
 私の場合、最近になって、描(画)くという楽しみが加わった。
 描くという遊びは、子供にとっては、お絵描きと呼ばれるものだが、年を取るごとに興味が薄れ、15歳もすぎれば、好き嫌いがはっきりする。その辺を境に本当に好きなものだけの習い事に変わってしまう。
 前にも少しこのコラムで触れたが(2014.9.4)最近になって幼い頃「画家になりたい」という夢があったと思い出し、ホームページのトップページに、試みに塗り絵を挿入してみた。
 それかあらぬか、絵心に火が付いた。そこで次に「樹木」象徴画を書き始めた。更に今年になって、CGを使った抽象画にも挑戦している。
 絵を描くペースは、トップ画像が10日間間隔での更新(毎月5の付く日)で、樹木象徴画が月1回更新している。
 これに対してCG画像は、思うがままに描くので更新間隔はランダムなため、年中更新している気がする。
 CG画像についてもう少し詳しく説明すると、頭に浮かんだイメージを表現するのに、単純な線と色を使い分けるようにしている。
 最初に掲載した画像を例に説明すると、作品名「1✕4」は、まず四角の画像を描き、それを基準画として、回転させたり、色使いを変えて4分割されたイメージを創りあげた。実に単純な作業の積み重ねで創りだしたものである。
 コンピュータで画像を処理するので、CGというのだが、PCのコピー&ペースト機能(複写して貼り付けること)を使って、最初に描いた画像を回転させ、各画像の配色を変え、画面の4隅に貼り付ければでき上がる。この時のポイントは画像が正方形でないと、均等な絵にならないという点には配慮が必要だった。コラムを書く要領で、モチーフが決まれば、後は部品を一つ作るだけで、後の作業はパソコン任せというのがCGアートの面白いところだ。