2015.3.1 風邪にご注意
前回ティシュについて記載したが、またその消費量が増えてしまった。と言うのは、執筆中に何か寒いな感じたら、部屋のストーブが消えていた。ライマーで切れるようにセットしてあったからだが、そのタイミングが悪かった。湯上がりだったこともよくなかった。気がついたが「時すでに遅し」で、翌日目が覚めたら、喉が痛い。悪い兆候である。
風邪の予感、急いで行きつけのクリニックで診てもらったら、案の定「風邪」と診断された。インフルエンザでなかったのが救いではあったが。
私にとって怖いのは、風邪が治っても気管支喘息に移行するケースが多い。それも考慮して薬を調合してもらった。
4種類ほどの薬を出してもらったが、朝飲む薬が何と10種類に上る大量の薬を飲む羽目になってしまった。一度に飲むのだから、普通の人には考えられない量だと思う。
体にいいわけがある筈もないが、仕方がない。早く治すには他に方法は見つからない。風邪の症状は弱まったのは確かだが、四六時中眠気がして、頭が虚ろな状態になってしまった。
こんな状態で4-5日過ぎて、やっと物を考える力が戻ってきた。散歩もできる状態になったので、散歩途中のコンビニの一隅を書斎代わり(何故か考えがまとまる)に筆を走らせている。
散歩途中では、行き交う人の多くがマスクをしている。花粉症かも知れないが、風邪も流行っているようだ。そう言えば、クリニックもいつもの3倍位の人が押しかけ、座る場所がないほどの盛況だったから、殆どが風邪をひいた人たちに違いない。
季節の変わり目とは言え、寒暖の差は大きい。それが、今年の冬の置き土産としての風邪の流行なのだろう。
風邪ひきが言うのも何だが、今が危ない時期。くれぐれも風邪をひかぬようご注意。
2015.3.4 味の感じ方
舌(ベロ)で味を感じることを味覚という。人間の感覚には視・聴・触・味・嗅という5種類の感覚があり、これらを総称して5感と表現している。頭で感じるのは第6感という。
さらに味覚も、色々な感じ方に分けられる。
甘味、酸味、塩味、苦味、辛味、渋味などが代表的味覚として上げられる。
これらの味を感じるのは舌であるが、舌の夫々の部位で特定の味を強く感じると言う。一説によると「味覚地図」と呼ぶものが存在するようだ。それによれば、舌の先端は甘味、左右が酸味、中央部が塩味、奥が苦味(渋味)となっている。
これは一説で、当然異論があり、「味覚特性は、すべての領域で同じであり、場所による味覚の偏在は無い」と言うところが、今日通説とされている。
そこで実際に検証することにした。順序は不同だが、これを書いているいつものコンビニのコーナーで飲んでいるコーヒーの味だが、ブラックは苦手なので、少々の砂糖とミルクを入れたものの味わいとなる。
飲んだ当初はあまり特定し難かったが、後味で部位が判明した。コーヒー独得の渋み(苦味)は喉の奥に残り、酸味は舌の左右で感じ取れた。
次に甘みと辛味であるが、折悪しく風邪をひいていたので、薬局で買った「生姜のど飴」を舌の上で転がして味わってみた。風邪をひくと味覚が鈍るというが、味の識別は出来た。その結果は、甘味は舌の先端で感じ、辛味は舌の前半分で感じ取れた。
これで塩味を残して夫々の味の持ち場が判った。塩味は塩せんべいで試した。思い込みもあり、塩味は舌の中央部が一番強く感じるようだった。
これらの感じ方は多分に主観的で人によって異論はあるだろう。
結果、個人的見解として、5味については、舌の特定の部位で感じ取るという「味覚地図」の存在を支持することにした。
2015.3.7 聴くということ
前回味覚について述べたので、残る4つの感覚についても順次紹介することにした。
今回のテーマは「聴覚」を取り上げる。
聞くという表現には、幾つかの漢字が使われる。聴く、訊く、効く、利く、尋くなどもTPOで使い分けられる。
今回のテーマは「聴覚」であるので、上記の表現法ではなく、生理学的な聴くについて観察してみた。
先日健康診断で聴力の検査をした。その結果聴き取れる周波数帯が大分狭くなっていることが分かった。
通常、人の耳は周波数帯で言えば、下は20Hz(ヘルツ)から上は16kHz程度までの鼓膜振動を音として感じるという。この周波数帯を可聴域と呼ぶそうだ。
加齢による聴力低下は高い周波数が聞き取り難くなるところから始まる。人の通常の会話で、話が聞き取り難くなると難聴の部類に入ることになる。難聴でなくても、電話の声などは聞き難いものだ。
それは電話の場合、周波数帯に制限をかけ300Hzから3400kHzと可聴範囲の上下を幾分かカットしている。そのせいかあらぬか、私などは特に人の名前などの固有名詞は聞き取り難く、聞き返すことしばしばだ。
どうも人間の耳は、自分の聞きたい音を聞き取りたいという、聞き分ける能力があるらしい。これは脳の働きのようで、人の周囲には色んな音が流れている。それらは雑音で、自分で音を拾うという意識がないと特定の音は聞き分けられない。
特に物事に集中しているときは、外の音をシャットアウトしているようだ。いろいろな音の中から必要な物だけを選び、それ以外は無視するようにできるというのは、脳の中に音に関するデータベースのようなものがあって、それを知らず知らずの内に使い分けているせいなのかもしれない。
2015.3.11 見る働き(前編)
見るの言葉については2014.11.7のコラムでも書かれている。今回は視覚という、どちらかと言うと生理学視点から述べてみたい。
見るという漢字は字源の「見」で示したように、大きな目の下に人が立っている形である。目が大きなウェイトを占めていることが一目瞭然だ。
さて、高齢化による目の衰えは免れず、白内障の兆しが診られるということで、毎月目の検診を受けている。
目の検査は、次の手順で行われる。最初に目を見開いて風を当てる検査を受ける。目に風が当たると瞬間目を閉じてしまうが、当たった後なので構わないようだ。角膜に直接触れずに空気を吹き付けて、角膜の凹み具合を調べる機器ということだ。これにより眼圧の変動で高眼圧症、緑内障、網膜剥離などの病気が分かるらしい。
次に視力の検査に移る。
私は裸眼視力が左0.6、右0.9である。それを矯正メガネをかけて検査する。最初に、赤い四角の中に黒の二重丸四角形とその隣に同様の緑の四角形が並んでいるものを、メガネ越しに見る。「どちらがはっきり見えるか」と尋ねられる。「赤のほうがはっきり見えます」と答えると、この矯正メガネが適正な度数のメガネになるのだそうだ。
その後、昔ながらの視力表の画面に切り替わり、輪の一角が切れている箇所が「どちらを向いているかというか」と尋ねられる。左右上下の何れかを答える。間違えるとそれ以前の数値が視力と判定される。多少の幅はあるが、左0.9、右1.0位までが見える。実際に使用している遠近両用メガネでは、両眼で1.0であるから、裸眼と大して変わらないが、ものがハッキリと見える点で大きく違う。(後編に続く)
2015.3.15 見る働き(後編)
そこまでの検査は助手が行い、結果が先生に渡される。
先生の前に行くと、検査結果を知らされ「前と変わりありません」と言った後、テーブルの上の台に顎を載せ、壁の一点(緑の小さい点)を見ているように言われる。眼にライトを当てながら、顕微鏡のようなもので、眼の中を覗きこんでいる様子。
この器機は調べてみると、細隙灯顕微鏡(さいげきとうけんびきょう)と呼ばれるもので、一種の拡大鏡である。そこに帯状の光を当てて目の病気を調べる、結膜、角膜、前房水、光彩、瞳孔、水晶体などの検査ができ、検査の要と言われている。
その場で診断結果を教えてくれる。今のところ処方された眼科特製の目薬を、毎食の食前と食後に眼に差すが、それが効いているのかどうかは分からぬが、変化は無いそうで「毎月来院してくだいさい」と申し渡される。これで眼科との付き合いも果てしなく続くことになる。
特に私のように物を書(描)いたり、読んだり、パソコンで処理したりと、眼を酷使している者にとって、眼の状態を維持し、悪化させないことが大切だとは認識している。
このことは、他に罹っている持病にとっても同じことが言える。歳相応の養生は、し続けろと言ったところか。
2015.3.18 春到来2015
今年の春の彼岸は18日に始まる。中間点の21日が春分の日である。そして24日に明けるというのが、今年の暦である。
このコラムを書いた17日は、前日の大雨が上がり気温が急上昇し、10℃となった。
そのため早朝は一面の霧(靄)が街を覆い、乳白色のベールを被って、風情のある光景を作り出していた。
近くの小山の上にあるお寺の二重の塔が、靄の中に、そのどっしりとした姿と、金色に輝く九輪の塔を、時空を超えた世界に誘う風情で佇んでいた。
「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉を実感できる季節が到来した。
お彼岸について、インターネットで調べると、次のような説明をしている。
古来日本では「太陽が真西に沈む時、彼岸と此岸(しがん)が最も通じやすくなる」と信じられていた。彼岸とか此岸という言葉は仏教用語で「生死の海をわたって到達する悟りに世界を彼岸といい、その反対側の人が済む現世は、迷いや煩悩に満ちた世界で此岸という」と説明されている。
お彼岸を先祖に供養の時期としている年中行事は日本独自の祭事で、これは神仏混交の日本の文化に基づいた慣習と考えられている。
彼岸にはお墓参りをする慣わしは、単に先祖の供養だけでなく、自らの救済にもつながると言うことで、古くから守られてきた。
そうしたことで墓参りする人を見ると、家族連れが多い。これは、家族の絆を強めることにもなるので、理にかなっている。
墓参りできない人は、家に仏壇があれば、綺麗に掃除し、花を飾り、線香を上げるなどして、先祖を供養する。これは気持ちの問題でもあるが、何か区切りが付く気もする。もっとも私などは不信心者なので、お下がりの牡丹餅が楽しみの方だが。
2015.3.22 触れる
今回は、人の五感のうち触覚について、触れてみる。
触れるという言葉は触覚について使われるより、「琴線に触れる」と言ったように、心で感じるものの方が多いようだ。
敢えて感覚的な触覚について、調べて見た。
Goo辞書では「ものに触れたときに生じる感覚」とある。これでは感触が弱い。もう少し突っ込んで解説したものはないか探すと、ジャポニカの解説が詳細を極めていた。
そのまま引いていくと、サッパリ飲み込めないので、勝手な脚注などつけて紹介することにする。
「生体の表面(皮膚や粘膜)に加えられた蝕刺激によって起こる感覚。圧覚や振動感覚と同一次元のいわゆる「動き受容感覚」の一つである」これではピンとこない。実際どのような感じなのか、言葉を変えて表現を試みると、こんな表現が浮かんでくる。
「手と手が触れ合う」、「指で触れてみるとビリッときた」、「顔と顔を触れ合わせんばかりに」、「傷口に触れると体中に痛みが走った」などを示すことができる。
更に説明は続く「触覚は機械的刺激の一種である触刺激によって、毛の動きや皮膚、被膜に変形とか歪みといった生体組織が生じた時に起こる」ここのところは次のように表現してみた。
「強くつねったら赤く変色した」、「セルロイドを擦って頭に近づけたら髪の毛が逆立った」などがわかり良いだろう。
更に続けると「触覚は体全体に点状に分布している。触受容器はいろいろな形状をした神経終末でその分布は手指の皮膚と口唇とにおいてもっとも大きく、体幹の皮膚では小さい」とあり、「あゝ指と唇が一番感じるんだ」などと変に納得させられてしまった。
2015.3.25 嗅ぐ(前編)
五感の最後に嗅覚(きゅうかく)を取り上げる。
鼻を利かせて嗅ぐという働きは、日常生活には欠かせない。聴覚同様、直接身体に触れずに感じる機能だ。犬や猫の嗅覚にはほど遠いが、機能的には同じで、嗅ぎ分けることも、見えない場所からの臭いも嗅ぎつけることができる。
この嗅ぐという道具は、鼻という器官が司る。
受容器としての働きについて、wikipediaでは、次のように説明している。多少ではあるが、手を入れて見ていただく。
嗅覚とは、臭いや香りを感じ取る感覚で、難しい生理学的表現をすると「揮発性物質が嗅覚器の感覚細胞を化学的に刺激すことで生じる感覚」としているが、言ってみれば「臭が鼻に到達し、鼻の粘膜を刺激して臭いとして感ずる」ということで、その粘膜にスギ花粉などが付着すると花粉症などという症状を引き起こすこともある。また難しい表現に戻すと「人においては、鼻孔の奥にある嗅細胞により電気信号に変換し、脳でそれを認識する」とまるでコンピュータのアルゴリズムに似た仕組みを持っている。
臭いに反応するプラズマクラスターなどは、臭いセンサーで感知しイオンで脱臭するとかで、最近ではいろいろなメーカーが、夫々の特徴を活かした製品を販売している。人の鼻には脱臭機能などはないから、鼻をつまんで息を止めるぐらいのことしか出来ない。その点は道具の方が進んでいる。(後編に続く)
2015.3.28 嗅ぐ(後編)
話を戻して、鼻の働きを実際例で上げると「古くなった食べ物が腐っていないか、食べられるのかどうかは、口に入れる前に確認す必要がある。そんな時、鼻を近づけて嗅ぐといった、安全確認動作をする。その機能は近づけるだけでなく、ガスの臭いを嗅ぎ付けるような、隠れていて見えないような物から、発生源が不明なもの、遠くにあるものなど多方面に及んでいる。ベテランの農夫や漁師は空気の臭いで、天気の変化を感じ取るといわれている」
更に付け加えると「人は無色、無味、無臭の物質は感じ取ることはできないから、先に記したガスなどには、臭いを加えている。硫黄化合物を加えることで、一手間かけて嗅覚に訴える工夫がなされている」
嗅覚については、他にも面白い記述がある。それはフェロモンの受容について「人にはヤコブソン器官という鼻腔の入り口近くにあり、フェロモンを受容した信号は、嗅球のすぐ上にある一次中枢の副嗅球を通じて、脳の扁桃体や視床下部に送られてホルモンなどの分泌に影響を与える」
これを平たく解釈すると、フェロモンは性感覚を刺激するという話だろう。
また、鼻が利く人という言葉を聞くが、これは嗅覚が敏感であるというより、美味しい話を嗅ぎ分ける能力であろう。私などは鼻が鈍感なのか、目鼻が利かず、ついぞ美味しい話などにはありついた事が無い。
これで五感について、一通り知るところを説明した。次は順番から行くと「頭に関係する話題」などになる感じがする。