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2015.8.4 きっかけとけじめ
 何を始めるにしてもきっかけというものがある。特に人との出会いは何かのきっかけが始まりとなる。きっかけは偶然の重なり合い中で生まれる。
 職場結婚を例に引けば、たまたま職場が一緒になったことがきっかけになり、付き合い始め、結婚へとゴールする。これなどはきっかけに始まり、けじめを迎えた例である。すべてがこの道筋を辿るという訳ではなく、人間関係は一筋縄ではいかないものだから、破局という結末を迎える場合だってざらにある。
 こう考えるときっかけとは人の運命ををも変えることになる契機を人に与える。きっかけは何も人間関係だけでなく、物事を始める動機でもある。ここでは人間に関して考えを進めることにしよう。
「偶然の重なり合いで生まれる」と当初述べたが、最近は人為的にきっかけの場を提供するビジネスも出てきている。人付き合いが不器用な人や、より違う生き方を求めるニーズの多様化に応じたもので、これには通信事情の劇的変化が大きな力になっている。ネット上の出会い系サイト、合婚を演出する企業も盛んだ。当然そこには人を騙して金儲けしようとする悪質なものも存在する。
 仕組まれた機会に便乗するのも一つの手ではあるが、きっかけとは、より自然発生的に自分の身に関わってくると見るのが本筋で、きっかけを活かすも見逃すのも、自分の価値観に頼るしかない。きっかけとは「ある物事を始める原因となる事柄。また、あるものごとが始まるはずみとなるもの(ベネッセ国語辞典)」であり、糸口とか手掛かりと同義語である。
 要はきっかけをどう生かすかが大切で、人の周囲にはこのような糸口はいくらでもあるものだ。
 しかし、つかんだ糸口を如何にして広げていくかは、その人の力量次第ということになる。しっかりとしたけじめを付けるまで、正しく自分を引っ張っていく努力を惜しんだら、きっかけは無為に終わってしまい、これでは偶然の産物に過ぎないものとなってしまう。
 見極めたうえで継続すること「継続は力なり」の言葉を生かすのが、けじめを付けるということにつながる。

2015.8.8 ウー暑っ!
 今夏の暑さは尋常ではない。東京では8日間連続の猛暑日を続け、観測史上の記録となった(8月7日時点)。
 35度を超える毎日だから、誰でも(動物も)音を上げるのも無理からぬ異常気候だ。
 私などもすっかり外出の機会が減り、運動不足となり、気温同様血糖値も上がり続けている。頭もキレが悪くなり、コラムを書くのにも筆が進まず、四苦八苦する始末だ。
 このコラムは前日の夜(7日)にアップするので、コラムの日付8日の天気は「曇り」の予報なので、やっと猛暑から解放されることになりそうだ。今年の猛暑の影響は大きく、連日報道では熱中症で病院に搬送された人が多いことを報じている。涼を求めて水に入る人の事故も増えているようだ。おまけに海水浴場近くにメジロザメが出没して遊泳禁止になるなどのニュースもある。これも気候変動のせいだろうか。
 話は変わるが、4日に神奈川新聞花火大会を見物した。3年連続取材目的で出かけたのだが、毎年人出が増え、今年は20万人の人の目を楽しませたというから、その賑わいが半端でないことがわかる。若い娘さんの浴衣姿が増えて花を添えていた。花火の一端をホームページで紹介したが、今年が今までで一番盛大だった。ビデオで花火の音に混じって人の歓声も聞けたと思う。
 「始めよければ終わりよし」の諺があるが、残念ながら今回は「楽あれば苦あり」で飛んだハプニングがあった。花火大会の最中にJR桜木町駅直前で架線事故があり、電車が不通になってしまった。この事故が原因で多くの路線も影響を受け、帰りの足が奪われた。復旧まで翌日未明までかかってしまったので、街にあふれた人たちが、暑い熱帯夜の中、駅周辺で時間を費やすことを余儀なくされた。私もその一人で、結局家に帰り着いたのは花火終了の3時間後になった。カメラなどをリュックで背負って行ったので、背中が汗でびっしょりとなり、その後あせもができ、今でも背中が痒い。嬉しくない夏の置き土産までもらった夏の一幕。

2015.8.12 占い
 占いというものは、信じる信じないは別として、妙に気にかかる。よくテレビの朝番で「本日の運勢」などと称して、星座によってその日の運勢を占っているが、自分の星座の運勢が悪いのを見てしまうと、決していい気分にはならない。
 子どもの頃、下駄を足から高く放り投げ、落ちた時に表なら晴れ、裏なら雨、めったにないが横に立てば曇りといった占いをしたのを覚えている。トランプ占いなども誰でも経験があるだろう。占いの種類は非常に多い。そうした占いは古今東西、世界中で広く受け入れられている。
 「当たるも八卦当たらぬも八卦」という諺は誰でも知っている。八卦とは何のことだろう。ウィキペディアによれば「卦は爻(こう)と呼ばれる記号を3つ組み合わた三爻によりできたものである。爻は易の卦を構成する基本記号のこと。長い横棒(─)と真ん中が途切れた2つの短い横棒(--)の2種類がある。爻では前者を剛、後者を柔と呼ぶが、伝では陽、陰とする。陽爻と陰爻は、対立する二面性を表し、陽爻は男性・積極性などを、陰爻は女性・消極性などを表す。これらを3つ組み合わせた三爻により八卦ができる」とある。よく理解はできないが、この記号は街中の易者のトレードマークのようなものだから、よく見かける。
 一方、西洋占星術で誰でも知る星座占いは、おひつじ座・牡羊座、おうし座・牡牛座、ふたご座・双子座、かに座・蟹座、しし座・獅子座、おとめ座・乙女座、てんびん座・天秤座、さそり座・蠍座、いて座・射手座、やぎ座・山羊座、みずがめ座・水瓶座、うお座・魚座の12星座別に占うもである。
 これらはよく知られた占いであるが、先(将来)のことを予言するのが占いだが、似たようなものに、暦を見て慶弔の予定を立てるのも一種のゲン担ぎみたいなもので、結婚式は大安の日に、友引の日には葬式はやらない(火葬場が休み)など運勢歴も慣習になっている。
 このように占いや、それに深く関わる暦を知ろうとする試みは、とても私の手に負えるものではないことが分かった。「明日は明日の風が吹く」流の方がストレスがかからない。

2015.8.16 帽子が好き
 この時期帽子は外出時の必携アイテムで、頭を直射日光から守るのには欠かせない。日傘もあるが、これは身体全体に影を作るので、女性に多く使われるアイテムだ。帽子を被るのは人の好みなのか、被らない人も多い。私は帽子愛好家である。
 帽子の種類は多く、好みもあって、全種類使っているわけではない。一応帽子の種類を上げると、ハット、キャップ、ハンチング、ニット帽、ベレー帽、キャスケットなどというものがあり、それぞれ形で分類しているようだ。
 私が使ったことが無いものも多くあるが、自分で持っているものは、時と場合によって使い分ける。
 ハットというのは、全方向につばのある帽子のことで、ファショナブルなのでおしゃれでダンディーなイメージが強いという。中折れ帽とかソフトハットと呼ばれ、スタンダードなフォーマル帽であるので、何にでも似合う。私は黒い太い糸で編まれたものを25年ほど使っているが、頭にフィットして一番のお気に入りだ。人と会う時などはこれを被っていく。
 次がキャップであるが、これは運動帽のこと。特に野球帽で知られている。もともと長く野球をやっていたので、野球帽は欠かせない。ダメになったのが殆どだが、今でも4個ほど残っており、散歩の度にとっかえひっかえして生かしている。私は普通より頭の周囲が狭い(頭が小さい)ので、フリーサイズの調節できるものでないとフィットしない。それでもぎりぎり絞るほど小さい。日差しが強い今は、つばの長いのを主に愛用している。
 ほかにも頭部が円筒形の作業帽や、ハンチングなどもある。登山用で雨用のもあるが、今は殆ど使わない。夏の子どもと言えば麦わら帽。これも今では思い出のモノになってしまった。
 このように帽子好きにとって、外出には離せない必須アイテムのひとつだ。よく帽子を被る職業(警官など)の人は早く禿げるというが、そんなことは無いと思う。むしろこれは遺伝の方が大きく左右すると言って間違いない。
 外はまだまだ暑い。多くの無帽の人に忠告。無帽で出かけるのは無謀だ。

2015.8.19 おにぎり
 私は今でも週1回ほど弁当を持って仕事に出かける。弁当はおにぎりと決まっている。
 おにぎりは弁当の定番だが、呼び名も、形状も、飯の種類も、中の具も様々だ。
 ちなみに私の持っていくおにぎりは、白米のごはんに白ごまを混ぜ、塩で握るごくスタンダードなもので、形は三角または丸で、中の具は塩鮭、鱈子、梅干と決まっており、海苔で包んだものだ。それにゆで卵とクッキーなどのデザート付である。何年もワンパターンだが、何故か飽きがこないから不思議だ。外食で昼食を取る場合は、中華であったり、カレーなどの軽食を選ぶから、おにぎりは携帯食と自分で決めている。
 このおにぎりについて、コンビニなどで見かけるものは種類も多く、形も丸、三角、俵型と様々だ。具にしても私のおにぎりに入っているものの他にマヨネーズや昆布、明太子など豊富である。飯の種類も赤飯であったり、おこわであったりとバリエーションが豊富だ。それだけお客のニーズに応えようと工夫しているのだろう。
 ここで少しおにぎりの歴史を振り返ってみよう。
 先ず呼び方であるが、おにぎり、おむすび、むすびなどと呼ぶ。古くは屯飯(とんじき)と言われ、中国の携帯食としての食べ物だった。これが日本に平安時代に伝わったという。
 強飯(こわいい)の握り飯を神宮儀式に用いたのに始まり、神との縁をむすぶことから転じて、おむすびとなったということだ。
 握り飯の効用については「飯が冷えてもボロボロにならず、空気との接触が少なく、腐るのを防ぎ持ち歩きに便利が良い」という記述がある。
  長い時間を刻んで、おにぎりは今も日本の代表的携行食として、また弁当として重宝されている。

2015.8.23 モノ忘れ
 何の足しにもならないのがこのコラム。今回は特にどうでもいいものなので、お好きに呼び飛ばしてもらいたい。
 ということで、今回は歳を重ねるごとに進むモノ忘れを話題にする。
 よくテレビの健康食品のコマーシャルで「人の名前が咄嗟に出ない人にはこれを飲めば、驚くほど効果が出る」などとうたって、その気(け)のある人は買って飲んでのではないだろうか。それほどまでしないと、記憶を呼び戻すのに時間がかかるのは、歳を取ればやむを得ないことだ。こうした人の名前が中々出てこないのは、誰でも覚えがあるだろう。
 これらは度忘れといってもよく、忘れた頃になって次々に名前が出てきたりする。
 忘れやすいと同様に物覚えも悪くなる。モノの名前が覚えられない。特に常用している薬の名前などは殆ど覚えない。大体ネーミングがよくない。例えばラベプラゾール(胃薬)などのように、カタカナで7文字もあるとまず覚えられない。太田胃散とか正露丸の和名とか、せめてノーシンのように短くて乗りのいいのにしてくれれば、少しは覚えられると思うのだが。
 名前同様建物の場所も覚えられない。これは前にも書いたが、私は極め付きの方向音痴なのだから今更ではないのだが、特別の目印になる建造物を目当てに行かないと目的地にはまず辿り着けない。このように記憶はどうも当てにならなくなっている。
 「記憶より記録」というのが私の持論だが、記録に頼りすぎるのも問題だ。医者の予約などに関して私は毎週腰の理学療法の治療受けており、これには毎週予約を入れないといけない。このスケジュールを家の書き込みができるカレンダーに書いておいて忘れないようにしている。ところが毎週のことなどで、予約は入れてもカレンダーには書き忘れることがある。そうすると、間違いなく行きそびれてしまう。これなどはメモに頼り切っているせいである。 こうなると二重のチェックが必要になる。モノ忘れには面倒だが念には念をいれた確認作業を怠らないことが、ベストな策ということになるのだろう。

2015.8.27 折畳み机・椅子(mono)
 仕事に机と椅子はつきもの。私も年中パソコンに向かっているのだが、狭い家で書斎など望むべくもなく、空いた場所を探して、そこを作業場としている。パソコンを置く机と座る場所さえあれば、そこが私の書斎となる・
 作業場所は、その時により移動するので、テーブルにしろ椅子にしろ場所を取るものはダメで、折り畳み軽量なものに限られる。 作業のスタイルも椅子に座ってするか、座椅子で低い位置で足を伸ばしてするか。はたまた寝転んだ状態でするか、TPOで大きくは三つの形をとるといえよう。
 座椅子を使う場合は、丈の低い折脚和風座卓が適している。パソコンをやりながら、食事を摂るだけの余裕のあるスペースが確保できる。作業をする大半の時間をこの座卓の前で過ごすことが多い。長時間座っていると腰に来るので、適度に腰のストレッチをするので、身体のためにも良い。椅子のところで紹介したが、座椅子もそれに応じたしっかり腰にフィットする造りのものを選んでいる。
 職場で仕事をする時は、テーブルとキャスタ付ーきの高さ調節できる椅子がセットになっているのが普通だ。それが一番長時間の事務作業に向いているからだろう。
 それに似た環境を作って作業する場合もある。折り畳んで場所を開ける必要があるので、これにはキャンプ用の椅子とテーブルをイメージしたら分かりいい。両方ともアルミのパイプ構造で簡単に組立ることが出来で軽量なものを使っている。使い勝手はいまいちだが、すべての好みに合うものなどを求めるのは土台無理な話である。椅子は小型のデッキチェアでテーブルは高さ調節ができるものをセットにして作業場とする。
 最後に紹介するのが寝転んで作業できる、怠け者用の折り畳み式パソコン台である。これはお盆くらいの大きさなので、タブレット型のパソコン程度の大きさを載せるのが限界だ。寝転んで台の足を広げてロックすればでき上がり。滑り止めが付いているので、斜めにして本なども読める。こういう使い方は横着の極みだが、すぐ眠くなるし、首も痛くなるので、便利なようで便利でないものもある。
 他にもあるのだが、共通していえることは、どこでも書斎化できる工夫をすることである。

2015.8.30 サイズ考(はがきと封筒)
 同窓会など年数回、かつての仲間と会うことがある。こんな時、私は必ず記念の集合写真を撮る。この年になるとまた会えるという保証はないから、元気の証として、全員に手紙に添えてハガキサイズの写真を郵送することにしている。封筒の中身は、大体和便箋2枚と写真1枚となる。これを送るのが郵便ということになるが、郵便には定形と定形外の2種類あって、はがきや小さい一般的封書は定形郵便に入る。
 この定形郵便の規格は次のようなものだ。定形の代表的なはがきのサイズは100×148mmと決められている。
 封書に入れる手紙は、紙のサイズでB5判(189×267mm)の一般的和便箋を使う。和便箋を好んで選ぶ訳は、筆書きするためで、筆には和紙と自分で決めている。便箋を3つ折りにして定形封筒に入れる。定形の封筒も色々のサイズがあり、数えてみたら12種類もあった。
 私がもっぱら使うのが、定形郵便なので、これに関して説明してみる。
 郵送する場合、いかにして写真と手紙を効率的に入れるかがポイントになる。色々試してみたが限られたサイズのものに絞られる。今使っているサイズは角8号と呼ばれるもので、118×197mmである。これだと手紙を3つ折りにして写真を挟み込んで納められるのでバランスが良い。以前は洋形2号というサイズの封筒を使っていた。これはよく招待状を入れるのに使われるものだ。この場合、手紙を4つ折りにしなければならず、和便箋を4つ折りするのが気に入らず、今のサイズの封筒になった。
 ただ、この封筒は給料袋などにも使われるので、郵便番号枠が印刷されていない。あちこち探し回ってやっと木製の枠判を見つけ、赤スタンプを使って郵便番号枠を押している。郵送するのには、このような試行錯誤を繰り返して、一つの形ができる。
 何事にも通用することなのだが、小さなことでも学習しないと定まらないものがあるということを、ここでも再認識した。