kiji

2015.4.7 話を合わせる
 ボタンの掛け違いという言葉があるが、不思議なほど人の考えは、何かにつけ食い違うものだ。
 いい例は、国会中継のお馴染みのシーン。「右と言えば左、上と言えば下、ああ言えばこうと」よくもまあ、あんなに意見の食い違いがあるものだと感心するほどだ。
 今回は政治の話をするわけではない。人の意見の食い違いについて考察してみた。
 話もいよいよ頭に関するところまで達した(五感については記述済み)。
 議会の例を見るまでもなく、人それぞれで感じ方、受取り方、解釈の仕方は、まさに千差万別と言えよう。
 あまり意見の食い違いを正そうとすると、諍い(いさかい)の元になる。私などは今更議論するのもバカバカしいと、適当にやり過ごすのを常とするようになった。調子がいいやつだと思うかもしれないが、大したことでもないことに、無駄な神経を使うのは、身体(頭)に良くないからだ。
 飼い犬や飼い猫は、飼い主(ご主人様)には全く従順である。何をされても何も言わない(話せないからか)、態度でも不服従な様子もないから、相手の行為を容認しているのだろう。それ故、犬や猫の馬鹿可愛がりがあるのだろう(私もその口だが)。
 そこをいくと、人は生まれついて直ぐから個性があって、親の思い通りになる子などいないと言っていい。
 何もひとの子を犬猫扱いする気は、さらさらないが、顔は酷似して見分けがつかない双子でも、性格は真反対だと言うのは、通説となっているくらいだから、個性むき出しで生まれてくるわけだ。その延長線上に成長した人格が形成されるのだから、ますます自我は強くなっているはずである。
 そこのところを踏まえると、人とのコミュニケーションの取り方も、自ずから学習できる。今まさに花真っ盛りのシーズン。島倉千代子さんの歌に「人生いろいろ、男もいろいろ、女だっていろいろ、咲き乱れるの」の歌詞ではないが、それぞれ、見頃、ツボを抑えてやり過ごせば、人生捨てたもんでもない。



 
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