kiji

2015.8.4 きっかけとけじめ
 何を始めるにしてもきっかけというものがある。特に人との出会いは、何かのきっかけが始まりとなる。きっかけは偶然の重なり合い中で生まれる。
 職場結婚を例に引けば、たまたま職場が一緒になったことがきっかけになり、付き合い始め、結婚へとゴールする。これなどはきっかけに始まり、けじめを迎えた例である。
 すべてがこの道筋を辿るという訳ではなく人間関係は一筋縄ではいかないものだから、破局という結末を迎える場合だってざらにある。
 こう考えるときっかけとは人の運命ををも変えることになる契機を人に与える。きっかけは何も人間関係だけでなく、物事を始める動機でもある。ここでは人間に関して考えを進めることにしよう。
「偶然の重なり合いで生まれる」と当初述べたが、最近は人為的にきっかけの場を提供するビジネスも出てきている。人付き合いが不器用な人や、より違う生き方を求めるニーズの多様化に応じたもので、これには通信事情の劇的変化が大きな力になっている。ネット上の出会い系サイト、合婚を演出する企業も盛んだ。当然そこには人を騙して金儲けしようとする悪質なものも存在する。
 仕組まれた機会に便乗するのも一つの手ではあるが、きっかけとは、より自然発生的に自分の身に関わってくると見るのが本筋で、きっかけを活かすも見逃すのも、自分の価値観に頼るしかない。きっかけとは「ある物事を始める原因となる事柄。また、あるものごとが始まるはずみとなるもの(ベネッセ国語辞典)」であり、糸口とか手掛かりと同義語である。
 要はきっかけをどう生かすかが大切で、人の周囲にはこのような糸口はいくらでもあるものだ。
 しかし、つかんだ糸口を如何にして広げていくかは、その人の力量次第ということになる。
 しっかりとしたけじめを付けるまで、正しく自分を引っ張っていく努力を惜しんだら、きっかけは無為に終わってしまい、これでは偶然の産物に過ぎないものとなってしまう。
 見極めたうえで継続すること「継続は力なり」の言葉を生かすのが、けじめを付けるということにつながる。


 
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