kiji

2015.7.25 心のふるさと(音楽にのせて)
 たまたまテレビの野球観戦のあと、何とはなしにチャンネルをいじっていると、「みんなの歌」という音楽番組をやっていて、その楽の音に耳をひかれた。明治から昭和初期の唱歌を集めたもので、プロの声楽家グループが美しい喉を披露していた。
 聴いていて驚いたことに、どの歌も一緒に唄えるほど記憶に刻まれたものだった。画面の下に歌詞が出ていたので、つくづく見ると実に良く曲に合っており(曲が合わせたのかもしれないが)、心に染み入るように快く耳に響いた。心が洗われるようで、久し振りに清々しい感覚が呼び覚まされた。
 当時の歌詞をよく見ると、小学校の唱歌にしては結構難しいものもある。小学生には理解しがたい言葉が並ぶ。そこで、その一例を示してみる。
「春高楼のの花の宴 めぐる盃かげさして 千代の松が枝 分けいでて 昔の光いまいずこ」 
 これは、作詞土井晩翠、作曲滝廉太郎の「荒城の月」の一節であるが、小学生に酒宴の歌詞、何とも不似合だが、当時は訳の分からないまま一生懸命唄って、すっかり頭に刻み込んだものだ。歌詞と曲がぴったり合って抵抗がなかったからだろう。
 このように後世に残るような歌は、いつ聴いても色褪せず、むしろ心を慰めてくれる。それ故、心のふるさととなるのだろう。
 最後に日本の国歌「君が代」なども、今見直しても難しい歌詞で、英訳などもさっぱり意味をなしていない。和歌を英訳するように難しいのだろう。それでも、重厚で荘重な雰囲気が日本の国民性に合うのか、戦後70年になるが、日本人に唄い続けられている。

 
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