2015.7.28 無駄は止められない(前編)
学生時代に事務処理を効率的に行うポイントは、ムダ、ムリ、ムラを無くすことだと教わった。
今振り返って見ると、この教えは殆ど守られなかったと思う。特に無駄に関しては、無駄なくして我が人生は語れないぐらいだ。ということは、無駄を省いてしまうと、やることが無くなってしまうぐらいだから、どんな無駄をし続けたか反省してみることにする。
無駄とは何かというところから始めよう。国語辞典によれば「無駄とは、何をしてもその効果や益がないこと」とある。実際にはどういう表現で示されるのか、同辞典から拾い出してみる。
無駄遣い、無駄足、無駄金、無駄食い、無駄口、無駄話、無駄飯など数多くの無駄が存在する。
わが身に照らして、どのような無駄が多かったかというと、言葉の定義にあるものの中では、時間と金の無駄遣いが多かったと言えるだろう。
一見忙しそうにしているように見えるが、その実無為に過ごしたことになることが多いものだ。例えば、事を始めるにあたり用意周到を心がけ、計画を練るのだが、実際実行段階になると、その殆どが思惑通りにいかないものである。結果として、それまで費やした時間が無駄だったということになる。何も準備しないで事に臨むより、あれやこれやと、思いを巡らして想を練るのも楽しいから、それは無駄かどうかは、実は判定しにくい点ではある。
なぜ無駄を止められないかは、こんな具合に過程が重要で、結果で無駄かどうか決め込むのは、どうかなという矛盾に陥ってしまうからだ。
(後編に続く)
この記事に関するご感想などを下記メールでお寄せください。comfree@papars.net
過去のの記事を閲覧するには日常細事のアイコンをクリックしてください。
©2013 papa's_pocket. All rights reserved.