kiji

2015.7.31 無駄は止められない(後編)
 今回は金の無駄遣いについて振り返って見る。
 欲しいと思うとあれこれ迷った後で、結局買ってしまうのが人の弱さ。私も例外ではない。最近はネット販売を利用することが多くてつい宣伝につられて無駄買いしてしまう。色々なものを購入するのだが、本当に買ってよかったというモノは少ない。つまり無駄買いということになる。
 特にamazonで買い求めた古本は、もっぱら寝床で睡眠薬代わりに読む程度なので読み残しが多く、同じところを何回も読み直すという始末だ。
 本を漁るのは、若い頃からの癖で、小説それもハードボイルドものが多かったので、読み始めると止まらないところがあった。ところが最近は専門書系が多くなり、読み飛ばすなどという芸当ができなくなった。その結果買い漁り癖だけは抜けず、読み終わらない本が山を築くということになってしまった。多分だが、一生かけても読破できない本が残ることになるだろう。ホント何時になったら始末する気になるのやら。これも投資に見合わない無駄遣いということになる。
 それでは、開き直って考えてみよう。
 世の中から無駄という無駄を省いてしまったらどうなるだろう。経済的で住み良い社会になるかと言えば、そうでもないと思う。何をもって無駄とするかの定義付けが難しいからだ。
 一見無駄に見えても「遊び」のようなものは、世の中から無くしてしまうと、味気の無い窮屈な世界になってしまうに違いない。
 無駄なようでいて、世の中に潤いを与えるものを「無用の用」と言うが、無駄の中に僅かでも生活に生かされるものがあれば、それは大切に守ると自分に言い訳している。


 
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