2015.6.8 生活六考(学)
学ぶということを語るとなると余りに範囲が広すぎる。今回も自分の身に振り替えて「学ぶ」ことを考えることにする。
知識を取り入れることが学ぶの基本となるが、これにはいろいろな手法がある。
私の場合、本から得るのが殆どであるが、人から話を聞いたりネットで仕入れたりする場合もある。
今もこうして物を書いているが、これもこれまでに学んできたものを、断片的に引き出して、それにちょっと味付けをして創作という形を取っている。こうした知識の断片と自分の考えを合わせる加減が微妙で難しい。
ここで考えるという言葉が出てきたが、考えの素は当然仕入れた知識に負うところが多いが、それだけでは、自分の考えではなく単なる受け売りに過ぎなくなる。下手をするとコピーしただけになってしまう。
際どいところで、そのようの色合いの強い文章になってしまう場合もある。自分らしい考えとしてまとめるのはそれほどに難しい。
学ぶ習慣が身に着いたのは最近のことで、このコラムを定期的に書くようになってからである。そのコラムにしても、老後の暇つぶしのつもりで始めたものだ。ところがホームページは更新が生命線であり、できるだけマメに行わないと、人の目に留まらないことになる。無論内容が伴うのが大切なのだが、そのところはあまり自信がないが。
それだけに取材を通じて多くを見聞(学ぶ)する必要がある。
私にとっては、その辺のところはテーマという目的を持って臨むことができるので、そうした行動することが楽しい。実体験を通して学ぶことが、考えたり、創作する原動力になっていることは確かだ。
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