kiji

2015.5.15 ご近所の老鉄人
 我が家の近所に齢90歳を優に越したご老人が住んでいる。
 この御仁、毎日午前午後の散歩を欠かさない。日課のようで雨の日も歩く。ここまでは特に珍しい話ではない。
 腰がほぼ直角になるほどに曲がり、地面だけ見つめながら歩くわけだが、足の大きさの歩幅を刻んで歩く。これだけでもよく歩く気になると思ってしまうが、これはおせっかいな見方だ。
 ここまでも特段珍しさはない。この御仁はご近所で知らぬ人がいないほど有名である。それには訳がある。歩くたびに大声を発するからである。救急車のように遠くから、その存在を知らしめながら、歩みをすすめる。この発声はよく耳を傾けると、どうやら歩数を数えているようだ。切れ切れだが20、30などと聞こえる、これは更に良く観察すると、規則正しいわけではない。100に近付くと、急に16などと変わってしまう。
 歩数計の代わりに数えているのではなさそうだ。これは一種の気合のようだ。難行苦行の念仏ぐらいに受け止めた方が良さそうだ。
 この御仁の散歩は単に歩くことが目的では無さそうにも、私には見える。時々コンビニから出てくるのを見かけることがある。レジ袋を下げていたり、手ぶらの時もある。店の中でも声を発しながら見まわるのだから、店員は最初はびっくりしたことだろう。
 このご仁が人と話をしているところは見たことはない。人間嫌いなのかと思ってしまうのだが、本人は意外と街に出ることで、人との接点を見つけているのかもしれない。 私も散歩は一人なので、会話なしで帰ってくるのが普通だ。散歩のコースには必ず商店街など人で賑わう場所が入っている。こうした場所では、直接的コンタクトがなくても、人との交わりを感じるものだ。
 かの御仁も人のいる場所にいるだけで、生きていることを実感しているのだろう。
 難行苦行とも見受けられる散歩で、時を刻む姿を見るにつけ、世の中には人知れぬ鉄人がいるのだという感銘すら覚える。


 
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