kiji

2015.5.25 生活六考(食)
 最近テレビでは、必ずと言ってほどグルメ番組に出合う。特にB級グルメ番組は大衆路線を狙っているので、それに触発されて放映された店には長蛇の列ができる。これは食に対する興味なのか、物見高い人間の性(さが)なのか定かではないが、人の食に対する関心(欲求)は、幾つになっても衰えないものだ。
 先の大戦の少し前に生まれた私には、食は「ひもじさ」の記憶に直結する。その反動もあり、飢えを凌ぐために食べた食物に嫌悪感があり、懐かしさは無い。従って、今食べたいものを食べるという傾向が強く、どちらかと言うと、偏食気味だ。甘い物に飢えていたため、その方には目がなく、挙句の果てに生活習慣病に罹り、食の制限と管理下にあるというのが実情だ。
 最近ではそれにも慣れ、出されたものには注文を付けずに食べるし、間食も減った。当初はストレスを感じたが、人間とは直ぐに環境に同化できるようだ。
 食は生活の基本であるので、何でも美味しいと思って食べるのが一番だが、贅沢な話「喉元過ぎれば・・・」の例えを、このコラムで書いたが、妙に味に敏感になってしまい、今流行の「うまみ」を求めたりするのは贅沢か。
「衣食足りて礼節を知る」という諺がある。この意味は「生活にゆとりができて、初めて人は礼儀に心を向けることができるようになる」であるが「昨今の世相に見るように、物質的な充足が必ずしも礼儀正しい秩序を生むとは限らない」(明鏡ことわざ成句使い方辞典)これには同感である。
 たしかに自分にしても、衣食は足りているが、礼儀を重んじるように変わったかは疑問がある。どうも昔の向こう三軒助け合った時代のほうが、礼儀も作法も重んじられていたように思えてくる。その辺のことについては「学」の項目に譲るとして、毎日食べていける今に感謝することにしよう。

 
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