2015.5.28 生活六考(住)
生活する上で、屋根の下で暮らすのが「住」である。住の語源を今回「字源」で紹介しているが、人と灯火との組み合わせによるとある。確かに夜一つ光の下に家族が集う姿が目に浮かんでくる。
私は結婚するまで生家で暮し、世帯を持って初めて、自らの意志で転居した。とは言うものの公舎住まい(役人だった)であったが。これがひどいオンボロな住まいで、常々どこかに自分の家を持ちたいとは考えていた。折しも近所に手頃なマンションが建造中で、これなら場所的には駅にも職場にも近く、地理的条件が良かったので、ローンを組んで、初めて我が家というものを手に入れた。
自分の家を持つということは、このシリーズのはじめにポイントととして示したように「一生働いてやっと手に入れた最大の財産。持ち家はついの棲家となるもの」なので、サラリーマンにとっては、ローンという大きな荷物を長く背負い込む覚悟での決断とななった。
引き換えに、それまで比較的気楽に旅行したり、買い物をしていたという「余裕」というものが消えてしまった。
それはいいとして、考慮が足り無かったのは、孟母三遷の教えではないが、子供にとって教育環境を考えて選ぶということを忘れていたことだ。進学などを考えると、転居の場合、これは大切な要素になる
マンション住まいにも問題はある。今更どうにかなるということでもない。共同住宅に住むということも色々な制約があり面倒なことも多い。従って、一時しのぎに住む人も多く、頻繁に引っ越しがある。
それらを見ると、人の戸建志向の強さがうかがえる。特に長男には家を構えるという意識が見られ、住むということにも、家を継ぐということを考慮すると、結構ややこしいものがあるようだ。
私などは今の場所で一生を過ごすことになるだろうから、これからはため込んだ余計なものは整理して、狭楽しい生活を確保したいなどと、とても出来そうもないことを考えている。
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