2015.11.7 日本の文化(言語と会話)
外国人にとって、日本語は難しいという話をよく聞く。どうやら外国人にとって日本語の複雑さと曖昧さが理解し難いからだろう。例を上げると日常の挨拶一つとっても「おはよう」「こんにちは」「さようなら」を英語に置き換えると「good morning」「good afternoon」「good bye」となり、こちらのほうが意味が明確である。
前回の宗教観のところでも触れたが、ここにもあいまいさが付いて回る。
哲学者中村元(なかむらはじめ)氏は、その著書「日本人の思惟方法」において「一般的に言いうることであるが、日本語の表現形式は、論理的正確性を期するというよりは、むしろ感情的・情緒的である傾きがある。日本語は事物のありかたの種々なる様態を厳密に正確に表示しようとしないで、ただ漠然と、ほのかな感情をこめて表現する場合が多い」と述べている。
この言葉を裏付けるように、確かに英語(多分欧米を含む文化圏)では、言葉の表現が論理的で明確である。従って、日常生活の中で不明確で論理性に欠ける会話が飛び交う日本語の理解に苦しむことになるのだろう
会話に関しては、同じ日本人のでありながら、お国言葉となるとさっぱり通じないものがある。沖縄の古い言葉は私からすれば英語より理解し難い。これは極端な例であるが、意味は通じるが、表現の仕方や、イントネーションの違いが、多くのお国訛りとして現存している。関西弁と言っても、京言葉と大阪弁とでは結構違う。例を上げると「言わはる(京)」→「言いはる(大)」、「そや(京)」→「せや(大)」といった具合に。東京の言葉は標準語にはなっているが、「ひ」と「し」が混同されているという地方色が見られる。
こうした多様な言い回しの違いは、日本独自の文化が創り出した副産物なのかもしれない。
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