2015.9.22 秋を想う(1)
このコラムは敬老の日(21日)に記した。ちょうどシルバーウィークの真っ只中、秋分の日で終わる5連休中である。
幸い天気にも恵まれ行楽地は多くの人で賑わっている。本格的に秋となった。このコラムでも「食は秋に限る」と「十五夜」で秋の風物誌を取り上げてきた。
今回は自然の変化の中でも最も人の感性に訴える「秋の現象」について観察してみた。
早朝散歩に出かけると道端の草に露の玉を見かけるようになった。「露の玉走りて残す小粒かな(川端茅舎)」露は秋の季語である。二十四節気では、白露(9月8日秋分までの期間。処暑から数えて15日目頃。この日から仲秋になる)、秋分(昼と夜の長さの等しい日が一年に春・秋二回ある、その秋の方の日。陽暦九月二十三日ごろ。秋の彼岸の中日)、寒露(10月9日晩夏から初秋にかけて野草に宿る冷たい露のこと。 秋の長雨が終わり、本格的な秋の始まりになる)というように、秋を代表する自然の分岐点といえよう。
露がどうしてできるかについては「露とは空気中に含まれている水蒸気が放射冷却などの影響で植物の葉や建物の外壁などで水滴になったもの(ウィキペディア)」とある。
また、露は秋を演出する存在で、文章などでも「晩秋の冷たい露が地に低くよどんで、空は紺青に澄んだ美しい宵(円地文子/朱を奪うもの)」のように秋の風景を描写するのによく使われる。
この秋の風情をよく表す言葉は「露」だけでなく「空」「風」なども風物詩を語るには欠かせない言葉、順次紹介していきたいと考えている。
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