kiji

2015.9.28  門外漢のタメ口
 世の中に専門家と呼ばれたり、称する人が多く存在する。それぞれが独自の分野でその知識や技術を磨いた結果、功成り名遂げるに至った人たちばかりだ。毎日そういう人とお目にかかっている。無論直接ではなくテレビを介してであり、面識など丸でない雲上のお方たちである。
 私自身は、結構今は暇な身分なので、報道番組などはよく観ている。そこでその分野の専門家の話を拝聴することとなる。
 不思議に思うのは、同じ分野の専門家なのに、全く意見が異なるシーンに出会う。独自の分野を拓いた人だけに妥協という言葉が辞書にないくらい、見解の相違とか視点の違いが明確に出る。特に評論家と言われる人に政治や経済の意見を戦わせると、白といえば他方は黒とやり返す。囲碁の世界では黒白はっきり勝ち負けで決着する。ところが論争となると、決着がつかない。背後にはテレビ局の演出も見え隠れするが、24時間続けても纏まりを見ない。出演者の経歴を見ると、概ね学者(大学教授クラス)かシンクタンクの上級職員の肩書が多く、自分の考えに絶対的自信を持っている(ようにみえる)。我々は外野席からそのバトルを観ているわけだ。どちらもこれが正論だと声高に唱える、双方意見が噛み合わないから、結局門外漢である観ている側は、蚊帳の外に置かれた感じとなる。
 もっとも世論調査などを見ても大体四分六といったところに落ち着くから、外野席も似た物同士の関係にあるのかもかもしれないのだが。元々シャンシャンなど望んでもいないが、どこかに落としどころを見つけるのが大人の仕事だと思う、
 こんな姿を見せつけると、きっと子どもたちも呆れることだろう。
 そもそも先生方は、自説を堂々と披露するが、発言に関する一切の責任は問われないようだ。彼らの一件落着とは発言する機会にあり、機会さえ与えれば何度でも顔を出し、平行する議論を繰り返す。
 ご気楽な身分とみえる彼らの唯一の弱点は個人的なスキャンダルで、それで出場機会を失うことになる。元々一般人とは違う象牙の塔の中で育った人種なので、そういうところに脆さを見る。今回は専門家になれないヤッカミから、タメ口をたたかせてもらった。







 
この記事に関するご感想などを下記メールでお寄せください。comfree@papars.net
過去のの記事を閲覧するには日常細事のアイコンをクリックしてください。
©2013 papa's_pocket. All rights reserved.