2016.11.24 辛い選択
前回に引き続き政治ネタに始まり、少々生々しい話になる。
今年の流行語大賞にノミネートされている言葉に「都民ファースト」という小池都知事の造語が上げられている。流石に元ニュースキャスターらしく人心掌握術に長けている。
このファーストという単語は、何をもって第一にするか考えると実はよく分からない。
政治の世界は先が見えないから、結果がすべてである。中身をさらけ出して(ガラス張りにの政治)も議論が百出するだけだ。十人十色人それぞれ意見が異なるものだ。
ファーストという言葉に拘るのは、何にも増して最優先するということは分かる。しかし、この言葉はかなり抽象的だ。抽象的で格好つけた言葉ほど、実践するのが難しい。ましてや結果となると、まるで闇夜を彷徨うように覚束ない。
以前の話題で「金と幸せとどちらが大切」といった、飛んでもない比較をしたが、この「都民ファースト」を実現するためには、先ず先立つのは「金」だ。人の生活には常に利害得失が付きまとう。
「誰もが幸せになる社会を造る」ということは、昨今の世界状況を見るに極めて困難な障害が多すぎる。
ここまで書いて、今回の話はかなり政治に偏っており、私が本来このコラムで語る道筋から逸脱している。
そこで自分のことでこのテーマを検証することにしよう。
現在私はビジネスの世界を離れ20年余り、自適な生活を送っている。これは見方を変えると、かなり個人中心で、まるで世捨人の生活のようだ。
現役を離れた人でも世の中に貢献している人は沢山いる。そこいくと私などは、金もなく肉体も傷んで、とても人様の役には立てない。自虐的表現で言えば、役立たずということになる。
こんな状況だと周囲から疎まれる存在になることだろう。そうならないようにする第一主義は、なるべく邪魔にならないように、ヒッソリと隠棲する道を歩むことが「生き方ファースト」と言えそうだ。
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