日常細事


kiji

2016.11.30 師走今昔
 明日から12月。和名で「師走」。慌ただしい年の瀬がまた始まる。
 どうやら今年の冬は暦通りに寒くなりそうだ。今回は年の瀬の今昔を思い返してみた。
 今は寒くても、部屋の中は暖房が利いていて、着るものも厚手の長袖で過ごせる。敢えて言うなら、暖房が切れた明け方寝床から出るのがグズグズしてしまう程度で、ストーブのスイッチを入れれば、直ぐに温まる。
 子ども時代の冬(今から70年前)はとても寒かったし、雪もよく降った。土の道路はいつも霜柱が立っていた。今の時代、寒さをそれほど感じないのは、電化によるだけでなく、時代の変化で生まれた地球温暖化の影響もあると思う。
 さて、子どもの頃、部屋を暖めるのは火鉢ぐらいしかなかった。石油ストーブが普及したのはずっと後になる。燃料は炭である。備長炭などという高級なものではなかった。結構近在で炭を焼くところもあり、そうした所から入手したものだ。俵に入った炭が台所の裏に置いてあったのを覚えている。
 子どもは風の子といっても、母親が手直しした綿入れを着込んで寒さを凌いだ。居間には瀬戸物の大きな火鉢が置いてあり、家族で暖を取った。たまにスルメを焙ったり、餅を焼くのが楽しみだった。何もない時代であったのでこうした光景は目に焼き付いている。その火鉢は後年、庭の片隅で水槽となり金魚が泳いでいた。
 暮れの年中行事と言えば、家族揃っての大掃除である。障子の張り替え、煤払い、廊下や柱の拭き掃除。襖の張り替えまで家族共同して作業する。それが一段落し、晦日近くになると餅つきがある。親父がまだ元気なころには、近所に住む親戚の男手を集め、庭にどこかから借りてきた臼を置き賑やかに餅を搗く。蒸篭(セイロ)でもち米を蒸すのは女の仕事と役割分担が決まっていた。縁側に座ってこうした光景を見ていた時が、子ども時代で一番幸せだったのかも知れない。無論その後の熱いままの餅を餡子にまぶして食するのが一番であったが。
 今はいつでもスーパーで切り餅を入手できる。何にでも感動を味わえた昔には、素朴な喜びがあったように思えてくる。




 
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