2016.12.10 書き入れ時
今回は年末の慌ただしさの中、少々荒っぽいコラムになってしまう。
『「酉の市」を取り上げた(2014.11.20)時書き入れ時は、熊手でお宝を掻き入れるのだから掻きいれ時が相応しい表現だが、これは誤記である』と書いたが、実態はどちらも同じようなことで、商いは何が何でも手段を選ばず金を掻き集めることで、そうしなければ商売勘定が滞って年を越せなくなる。
「儲かりまっか」「ぼちぼちでんが」と関西風に表現してみたが、金の工面に東奔西走する師走の風物詩みたいになっているのが「書き入れ時」の言葉を体現している。
昔はと言っても、コンピュータが普及する前までは、勘定は大福帳のようなものに書き入れていた。帳簿のことである。今では家計簿ぐらいなものしかアナログな書き入れはない。
スーパーに行けば決済は全てレジを通す。ここではバーコードで売上を読みとる。これは入力された売上がコンピュータ管理されることで、コンピュータサーバーという大きな大福帳に書き入れるという作業にほかならない。
できるだけ多くの商品を売るのが商売だから、特に正月準備に忙しい師走が書き入れ時になるのは当たり前の話なのかもしれない。
企業で働く人達にとっても、年末はとかく物入りだ。それにはお金がかかる。そこで、雇い主は従業員にボーナスという形で余分のお金を分配する。これがうまく回転しないと気分よく正月を迎えることは出来ない。
これはサラリーマンにとっても書き入れ時なのだ。
こうして見てくると年末が忙しく、慌ただしく、賑やかという状態でないと、書き入れ時という表現に勢いがつかない。こうした街の表情の変化を見るのも、隠居の見で埒外の世界で生活する私でも、その活気に何かホッとするものを感じる。
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