2016.12.14 一獲千金を夢見る
人の心の中にはどこか射幸心といって、まぐれ当たりの幸運を手にしたい欲求が潜んでいる。
今話題のカジノ解禁案(IR整備推進法)の賛否は大きく分かれる。
反対派はギャンブル依存症の拡大や周辺地域の治安悪化、さらに青少年への悪影響なを論拠として審議には応じていない。一方推進派は雇用創出と税収の増大、地域の活性化、観光の拡大などを打ち上げて、アベノミクス経済改革の一つとして押し進めようとしている。とこれまでは報道のニュースで伝えられていることだ。
言ってみれば、捕らぬ狸の皮算用的法案とも言えよう。従来の公営ギャンブルやパチンコとの兼ね合いにも片を付けなければならない。
色々な思惑を含んだ法案であるが、その根っ子には人の射幸心を煽るところがある。
かつてこのコラムで「幸せか金か」という比較できない話題を取り上げたが、一獲千金を夢見る人にとって、その人の人生を大きく変えることになるのは確かだ。
私も今年の年末ジャンボ(1億円)10枚セットを買った。当たった験しはないが、どうしてもミニのジャンボ宝くじに手が出てしまう。値段は同じだが当たる確率が高いというケチな考えから、どうせ当たらいなとは知りつつ止められない。これもギャンブル依存症か。
こんな程度なら可愛いもので、ギャンブルとはほど遠いものだろうが、射幸心の誘惑に負けたということでは同類であろう。
人は何かのきっかけでシンデレラのようになるきっかけに夢を託す。夢が夢のままで終わることが殆どだ。それでいいのだろうが、心のどこかで当たりを期待する声があるのも確かだ。
老子に「足るを知るものは富む」という言葉がある。その意味は「欲深くならずに分相応のところで満足することができる者は、心が豊かである」ということなのだが、分相応では満足できないのが、俗人の常であろうというところで、話を締めることにしよう。
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