日常細事


kiji

2016.7.20 富山の薬売り
 つい懐古趣味が出て古い話になるが、今回は富山の薬売りを取り上げてみた。
 子どもの頃、柳行李を背負って富山の薬屋さんが年に1、2度家を訪れ、玄関先で腹薬や軟膏などを入れ替える姿を覚えている。子どもにとっては、おまけの紙風船が貰えるのが楽しみだった。
 世帯を持ってしばらくして、富山の薬屋の婿さんに入った知人が訪れ、また富山の薬を置くことになった。柳行李は黒い大きなショルダーバッグに変わっていた。この付き合いは以来四半世紀あまり、彼が引退するまで続いた。ネットで調べると、その後2004年頃にこの会社は倒産したそうだ。
 置き薬の内容だが、一番使ったのは万能の塗り薬「ゴールドセーフ」だった。他にも下痢止めの「ピタリ丸」、風邪薬の「強力風滅(フーメツ)」、痛み止めの「スグナロン」や精力の付くドリンク剤、絆創膏などがあったと覚えている。ちなみに薬屋さんごとに製品名は違うので、今は手に入らない。
 さて、この富山のユニークな発想の配備薬はどのようにして生まれ、全国に広まったのだろう。
『始まりは17世紀ごろだと言われる。富山藩二代目藩主前田正甫(まさとし)は生来病弱で、幼いころから医薬に関心が強い人であったという。正甫は当時岡山藩のお抱え医、万代浄閑(ばんだいじょうかん)から「反魂丹」の処方を伝授され、この薬が非常に功を奏したことから、藩の事業として、各地に行商させることにしたのが始まり』と言われている。
 取引の方法として年一、二回常備した薬を取り替え精算する「先用後利」の方法が採られた。
 これが功を奏し全国に広まって行った。薬商が家庭訪問して取引をするということは、同時に各地にニュースをもたらす情報の介在人ともなり、現在のマーケティングの走りともなった。
 この経営手法は 脈々と続く商売の原理原則として引き継がれている。

 
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