2016.7.30 「お金」と「幸せ」を秤にかける
人には欲しい物が一杯ある。物欲がある限りその飢えが満たされることはない。
ここに面白い調査結果がある。リタイヤした団塊の世代(65歳以上)を対象に「残りの人生に望むものは何か」と問うたところ、「お金」が6割強、「幸せ」は3割強という結果が出たそうだ。
「金」という現実に見えるものと「幸せ」という、心の問題を秤(はかり)にかけることには、多くの異論があることだろう。
この結果を数字だけから推測すると、対象となった団塊の世代は、ひたすら働き続けるエコノミックアニマルとさえ呼ばれた、仕事一筋の半生を過ごしてきた世代だ。「お金」が人を豊かにする。それが家族の「幸せ」に繋がる。「幸せは金で買える」という論理が成り立つ。
一方少数派となる「幸せ」の選択について考えると、測る尺度を変えないと、「金があれば老後は楽しく、安心して暮らせる」という論理を超える答えを見つけ出せない。
人は老いれば必ず体が衰え人の介護を受ける時が来る。金があれば最高の医療を受け、整備された介護施設への入居も可能だ。それでその人に「今幸せですか」と問えば、おそらく「否」という答えが帰ってくることだろう。もし、そうだとすると、それは人間は「物」ではないからだと思う。
ここには常に欲しい「物」のために人生を費やしてきた結果、金で買えない「心」にしかないものがあるのに気が付かなくなってしまったのではと、私には思える。
竹内まりやの「幸せのものさし」という歌の最終フレーズに「幸せの基準はかるものさし自分の心の中にあるの?足りないもの数えるくらいなら 足りてるもの数えてごらんよ!」という記述がある。
幸せを測る物差しは個人個人の心の中にあり、外からは見えないもの。
私にとっての幸せは何だろう。その答えが「足りてるものを数えてみる」ことから引き出せるなら、「金」より「幸せ」という答えが現実味を帯びるのだが・・・。
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