日常細事


kiji

2016.9.12 「考える」に尽きるところなし
 「一日一日を大切に生きるだけです」という言葉をよく聞く。
 何を大切にするのかは漠然としている。人夫々の考えで決めなさいということなのだろう。
 私にとって大切なことは、毎日「考え続ける」ことだ。これも抽象的で何なのか漠として、人には分かり難いと思う。
 再三コラムなどで書いてきたことだが私の隠居生活の生き甲斐は「ホームページのポケット(のぞむ、しるす、うつす、えがく)」の中身を絶やさないような仕事を続けるところにある。
 色々な形態の表現法が詰まったポケットなので、中の素材を食材に例えるなら、調理して食膳に供するようにすること、それが「毎日考え続ける」ことに繋がっている。これは私の脳トレであり、長寿法ともいえるものなのだ。ホームページの更新に取り組むことができなくなったら、それが私の終焉と言ってもいいだろう。
 何時か終わりが来るのは始めた時から決まっているが、それを決めるのは私ではない。私は「考え続ける」という生き方をライフワークとして選んだ。それはとりもなおさず、ポケットの中身を埋め続けることなのだ。
 何か悲壮な決意を表明しているように見えるだろうが、実は年がら年中考えているわけでは決してない。眠っている時間の方が多い昨今だ。座り続けると直ぐに眠たくなる。そして船を漕ぎ始める。どこにでもいる老人と同じだ。
 熟睡できないうえにエンドルフィン(脳で分泌される脳内麻薬のような物質)の出も悪い。それが居眠りに拍車をかける。トータルすれば半日は眠りの状態にあるかも知れない。若いころの倍は睡眠に取られているというのも勿体ない話ではある。
 もっともこの状況は作り出すのは、家にいる時の話で、外に出れば脳も刺激を受けるから眠くなることは無い。従って考えたいときは外に出かける。これも以前書いたが、歩いている時に一休みするカフェやイートインのあるコンビニなどが、私の「考える場」ということになる。さて、それでは歩けなくなったらどうしたものやら。
 それはその時「考える」ことにしよう。



 
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