日常細事


kiji

2016.9.26  味が出る
 おでんやカレーライスは作った日よりも翌日の方が美味しい。これは寝かすことで、味の旨みが煮込むことで引き出さられるからだと思う。
 味が出るようになるには時間が必要なものがあるという一例だが、これに似たようなもので、人の芸も年月を費やし磨きをかけることで味が出る。
 芸事は大体このように経験が必要だが、味ということに関しては落語の世界では、落語家の晩年に一番の芸の味を感じさせる。
 落語の世界は、落語芸術協会によれば『落語家(東京)には、「真打ち」「二ツ目」「前座」「前座見習い」という階級がある』の段階を踏んで一人前の落語家になる。その間の修行は苦労の連続であることは容易に想像できる。
 もとより芸の世界であるので、真打ちといわれても、名人と誰もが認める落語家は少ない。噺家は高座の座布団に座り、道具といえば扇子と手拭ぐらいのものだ。演者の技巧と聴き手の想像力で噺の世界が広がっていくという、非常に分かり易い芸の世界である。語り口、間の取り方、声の出し方で客は噺に引き込まれていく。
 私は古今亭志ん生が大好きだが、江戸っ子らしい語り口と、とぼけた発声法で何回聞いても笑いが湧いてくる。これはまさに年輪を経た味である。先代の圓楽(五代目)も芸に味わいがあった。年齢に関係なく、早く円熟期を迎える名人も多い(30歳前に真打ち昇進)。それでも晩年の噺が完成度が高い。古今亭志ん朝のように「もう少し長生きしたらなあ」と惜しまれる落語家もいる。
 その芸は一代限りであるので、その味わいはその落語家だけにしか出せない。
 味わいを出すというのに、長い時間と技を常に磨き続けるということは、落語家に限ったものではない。
 私も物書きの真似事をしている。未熟であるが故にその先を見据えた時、成長のヒントを芸人の世界に多く見ることができる。



 
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