2016.9.6 使い捨て文化(前編)
今回はモノを中心に、日本の使い捨て文化について考えてみた。
私は文房具に興味があり、拘りのモノの一つだ。中でも筆記具は仕事に欠かせないグッズだ。このコラムでも筆ペン(2013.9.11)や鉛筆(2016.7.17)を取り上げてきた。
そこで筆記具第三弾目はボールペンに焦点を合わせて、テーマである「使い捨て文化」を念頭に置き話を進めることにした。
ボールペンはその用途によって使い分けられる。メモ程度に使うのならインクが切れたり、固まったりしたら捨ててしまう、書ければよいという使い捨てでもよい。しかし、手紙を書いたり、年金などの申告書など比較的に慎重を期する文書を書くときには、私は手に馴染んだモノを用いる。
インクが切れた時はリフィールといってボールペンの替え芯(通常専用)を取り替える。芯はゴミになるが本体は何年でも保つ。リフィール1本で使い捨てボールペンが何本も買えるほどだから、一見無駄遣いしているように思える。
その上古いものほど補充がききにくい。
確かに、そこまでして古いボールペンに固執するのはどうしたものかという意見はあるだろう。私にとって筆記具はいわば商売道具の一つであり、拘りがある。ペンの走り具合が文章の出来映えに影響する。
値段には関係のないところで、道具として使い込んだ愛着が生まれるものだ。これは大工さんや板前さんの道具への拘りに通じるものがある。
モノを大事にするという感覚は手軽に入手でき、用が済めば捨てるという今の社会では希薄になりつつある。
ボールペンを例に「使い捨て文化」について見てきたが、ここで社会現象としての、こうした文化の変容に疑問が湧いてくる。(後編につづく)
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