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 2015.11.7 喜寿になった

 私はある決意をしている。それは77歳までは何らかの形で、社会の一員として仕事を続けるということである。現在軽いアルバイトを月に10回ほどしている。小遣い稼ぎぐらいにはなる。大切なことは、人との接触の機会を保つこと、そのことが年を取ってからの一番の健康法だと考えたからだ。それも77歳に達したので当初の目的は達したことになる。来年の年度末にはこの仕事は辞めて隠居生活に入るつもりだ。この仕事を始めたのは72歳になってからである。人間の身体は正直で、後期高齢者となる75歳に達すると、急激に変調を来すものだ。診察券の枚数が急激に増え始め、今では耳鼻科を除くすべてが揃っている。冗談めかしてフルハウスなどと言っているが、健康的には元気といえる状態から徐々に遠のき始めている。肉体的活動を伴う仕事は、矢張り77歳が限界と自分の場合は言えるだろう。
 喜寿というと周りの人はよくここまで生きたと祝ってくれるが、本人は正直嬉しくない。「もう先は知れてるよ」と宣告されているような気がするからだ。
 それはさておき、これから先どう生きていくかだが、私には幸いなことにライフワークがある。ホームページを基盤とした創作活動である。書く、描く、撮る、写すという幅広い創作と、パソコン処理上の技術の維持がこれからの仕事ということになる。この活動は頭が働いている間は続けていく覚悟だ。
 もう一つ新しくする活動はシュウカツ(終活)である。
 自分の人生に区切りを付けるということは、残りの人生をどう過ごすかという問題の他に、自分の所有するもので、残しておく必要のないモノの整理がある。自分の人生が詰まった形あるものを処分することは、決断がいる。立つ鳥跡を濁さずの喩えのようにうまく行くのか自信がないが、終活とはそういうものだろう。いつか終わる自分の人生に綺麗にピリオド打つことが、自分らしいのだが、こればかりは先が読めないだけに、悩ましい問題だ。

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