2017.1.7 人生の節目(3)
子どもから大人に変る節目、それが明後日(第二週の月曜日)の成人の日にやってくる。
今回は成人を祝う通過儀礼の歴史的背景などについて見ることにしよう。
先ず成人になることの定義として、国際法「児童の権利に関する条約」において、18歳未満の者を児童としている。
日本においては、民法の定めにより「年齢二十歳をもって、成年とする」という規定がある。昨年2016年から18歳になれば選挙権が得られるように一部改正された。
子どもから大人になる境界線は少し曖昧になってきている。皇室典範では18歳で成年になると定められている。これは慣例によるもので立太子の礼という儀式が執り行われる。
歴史を遡って成人の儀式について調べて見ると「奈良時代」以降「元服」という通過儀礼が行われるようになった。
元服の「元」は首(=頭)のことで、「服」は着用という意味で、合わせて「頭に冠を着ける」という儀式を表す。公家社会では烏帽子(えぼし)を着け、幼名を廃して(例えば「牛若丸」を「九郎判官義経」と改名)元服名を新たに付けることが習わしとなった。江戸時代公家以外は烏帽子を着けず、その代わり前髪を剃って月代(さかやき)とすることで済ませるようになった。
女性もまた元服と称して、娘から大人の女性になると、着物が地味になり、日本髪を丸髷などの形に変え、厚化粧し、お歯黒を付け引眉するなどして成人の証とした。成人の儀には地方色が多く見られる。男子の場合米俵一俵(約60キロ)を持ち上げることができれば一人前と認める儀式などがあった。
このように成人式の形態は肉体的試練に耐え抜くという行事を通過しないと、一人前の男(成人)とは認められなかった。
成人の通過儀礼の意味するものは「新しい任務を担うべき階梯に移る(一段ステップが上がる)ための誕生」の証でもあった。
現代では成人する者に対し何の試練も与えない。従って自覚のないままに大人の社会に入ることになる。法の上では権利や義務が発生するが、そういう事実を実感しないままに大人になることは、本人にとっても社会にとっても形式的節目となり、好ましい傾向とは言えないと私は考える。
紙数の関係で予定と違って「冠」で終わってしまったが、残りの結婚、葬儀、祭事についてはまたの機会に言及したい。
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