2017.2.14 運ぶ(船)
日本は周囲を海に囲まれた島国で、気候も雨に恵まれ、多くの川も存在する。
古代より舟は大切な運搬手段であった。今回は船がどのように発展し今日に至ったかについて考察してみた。
日本の舟は独自の構造をもっている。古代は丸木舟であるが、基本はここにあり、今のように骨格を先に組みそこに板を張っていくのではなく、単に板を継ぎ合わせて大きくしていくという特色がある。
これは西洋の船と比べ竜骨や肋材を使わないものだった。
「古くは古墳時代の順構造船、平安時代の遣唐使船、諸手船(もろたぶね:古代船の一種で丸木舟に始まり、重木といって板をつづり合わせて大きくした船で、出雲神話に出てくる)、明治時代の打瀬船、丸子船、高瀬舟に至るまで、和船は全てこのような基本構造を持っており、風土や歴史に応じて多種多様な発展を遂げた(wikipedia)」
日本の地理的条件からいっても、物や人を運ぶのに陸路より川や海を使うことは理に叶っている。陸路では馬では1馬力だからせいぜい米2俵というところが、船それも千石船と呼ばれる船なら1800俵も運べたというから各段の効率である。
船の推進力と言えば櫂に始まりオールや帆が思い浮かぶが、エンジンでスクリュウー(正式にはスクリュープロペラ というそうだ)を回し推進するというアイデアの起源はアルキメデスにまで遡る。アルキメデスは灌漑用に水を汲み上げたり、船底に溜まった水をくみ出すのにスクリューを使った。それが最初であり、 初のスクリュー推進の蒸気船は1839年に建造されたというから実用化にはずいぶん時間がかかったものだ。
幕末(1860年 )に勝海舟率いる咸臨丸が、初めてアメリカへの航海に出るが、この時乗船した船はオランダで造られた木造船で、写真を見ると三本マストで主に帆走したようだ。蒸気タービンでスクリューで推進することもできる二重構造だったそうだ。
それが今や5000人もの人を乗せ外洋を航海するクルーザー船などを桟橋で見かける。まるで動く10階建ての巨大なマンションのような姿をしている。
内燃機関も燃料が石炭から重油、そして無補給で長い航海が可能な燃料として、軍事用ではあるが原子力が使われるようになった。しかし、この燃料は環境上に問題がある。安心・安全な燃料が開発されれば、船の役割はまだまだ続くはずだ。次回は他の運搬手段について考察する。
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