日常細事


kiji

2017.2.18 運ぶ(飛行機)
 このテーマの最終回は飛行機で纏める。
 今の時代では外国に限らず国内でもより早く目的地に着くためには、飛行機という存在を抜きには考えられない。
 飛行機による有人動力飛行に世界で初めて成功したのは、アメリカ人ライト兄弟で1903年のことである。この兄弟は世界最先端のグライダーパイロットでもあったというから、グライダーや飛行船などは既に存在していたことになる。
 ライト兄弟が初飛行に成功してから、35年後に世界は戦乱の世へと進む。この時飛行機も軍事目的で飛躍的発展を遂げる。
 より速く、より多くを運ぶという研究が戦争をきっかけとして進歩するというのも皮肉な現象だが、科学技術の発展が戦争という極限状態の中でより高度なものに変わっていくことは、歴史が証明している。
 日本も世界に列して引けを取らない航空技術を持っていた時代がある。この技術は世界大戦ですべて失われた。空を飛ぶという手段を失ったということは、羽根をもぎ取られた鳥のようなもので、それは現代にまで長い影を残している。日本の空を飛ぶ航空機は外国製ばかりというのも寂しい限りだ。
 日本が休んでいる間に、世界の航空事情は民間用にシフトして、ジャンボジェット(B747)のように大型で長距離を飛ぶことができる飛行機が誕生する。1969年のことで、それを契機に各国で 大型輸送機の開発が進む。高速性能を誇ったコンコルドは、ジャンボジェットのライバルと目され、ジャンボジェットはコックピットを2階に持っていき貨物輸送に転用も考えられた時期があったそうだ。ところが華々しく登場したコンコルドは、超音速で飛ぶため、 ソニックブーム(衝撃波)などの環境や、長い滑走路が必要なこと、加えて極端な燃費効率の悪さが原因で、2003年には運航を終了することになる。
 こうした航空業界の激しい技術争いの外で日本の航空機産業はライセンス生産しか許されず、独自の開発は現在進行中の三菱重工のMRJに期待が込められている。
 これは純国産製で初のジェットエンジン搭載の中型機でである。デビューは来年あたりになるだろうが、これが成功すれば日本の飛行機が世界の空を飛び回ることになり、日本人の職人技は空でも高く評価されることだろうと秘かに期待している。




 

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