2017.2.24 「しつけ」を考える(1)
「しつけ」ということが社会的に問題視される現在。ごく当たり前のように行われていた子どもに対する教育の一環とも言える「しつけ」がそんな単純なことでは済まされないことが分かってきた。
今回は少し掘り下げて子どもの「しつけ」を考えてみることにする。
「しつけ」は「躾」とか「仕付」と漢字表記されるがそれぞれに意味するものがある。「躾」という字は中国から伝わった漢字にはなく、国字といわれる日本で作られた言葉である。この漢字の起源は「しつけの対象を礼儀作法に限定する武家礼式の用語として生まれた」とあり、仕付とは分けて使われたようだ。
一方の「仕付」は「着物を縫う時,あらかじめ形を整えるため仮に縫いつけておくことを仕付けというが,大切なことは,いよいよ着物が本格的に縫い上がると,しつけの糸をはずす,ということで、しつけの糸はもはや不要であり,この「はずす」ことが,子どもの発達にとっても重要な意味をもつ(WooRisより)」 といったように両者とも子どもを教育することに変わりはない。
それでは誰が子どもをしつけるのかとなると、これは時代によって異なる。
我が国の伝統的なしつけの類型は「家」を中心に家風、家職、家芸と言ったものを伝えるために、子孫を仕込むことに重点が置かれていた。その代表的な例が「家訓」と言われる武家の基本方針を示したものを上げることができる。
以下に示すのは、室町幕府の管領・斯波義将が子孫のために記した家訓「竹馬抄」(wikipedia要約)の一節である。
「第一条 人の立ち居振る舞いについて、人の行為はその人の品格や心を表しているのだから心美しく誠実に、また、外形も整えておかねばならない。
第二条 親子関係について、親の教えを決して軽んじてはならない。
第三条 神仏を崇敬することについて、心をいさぎよくして仁義礼智信を正しく持って人としての根本を明らかにせよ」といったように10条にわたり細々と定めている。
このようにしつけは家を守るためには不可欠な教育の一つであったことが分かる。以下次回に続く。
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