2017.2.27 「しつけ」を考える(2)
しつけを受けるのは、幼年期・少年期・青年期にわたり長い時間がかかるものである。それぞれの時期で当然受けるべきしつけの内容も異なる。
幼年期はひとり立ちするための基礎段階であり、食事、排泄、寝る時間、手洗いなどの清潔、、片付けなどの整理、言葉遣い、遊びと家の手伝い、安全教育など多くを習得する時期となる。近代までは大体家の年寄りが教え込んだということだ。これは農家など家業に両親が忙しく働いていたためで、大体が大家族であったので、年寄りや年上の兄姉が世話をしながら、言い習わしや、昔話を聞かせることを通じて体得させていった。こうして子どもはことばや、生活習慣を身に着けていくという図式ができていた。
小学校に上がるころになると環境が大きく変わる。学校という学ぶとともに共同で行動するという社会参加を通じて体得していくことが多くなる。また、農家などでは一緒に畑に出て、農業の技術を見習う。試行錯誤しながら自ら体で覚えることになる。社会に初めて参加することになるので、挨拶や約束、行事作法などの社会的ルールも厳しくしつけられる。
青年期は、15歳前後から結婚するまでの時期で社会人として一人前の完成を目指すとともに、社会参加により社会のルールや性の成熟により性体験も学んでいく。この年代になると教わるより自分でコツをつかみ悟らされることが主眼になる。特に閉鎖的な村の共同生活においては、叱られて体得するよりも、未熟さゆえに人に笑われる方が身に応えることで、人前に出ても恥ずかしくなく、人に笑われることもなくなるのが目標となる。
このように近代以前の社会では、自分の村で一生を過ごすことが多かったから、伝統的な生活様式や型をこうして受け継いで一人前に育っていった。
これは農業だけでなく、諸職人や商人、さらに芸事に携わる者も同様で、徒弟奉公や門弟修行においても、教わるより、見習う(真似る)ことが第一とされた。厳しいしつけにより、欠点が矯正され、本人の自覚や自発性を促すことが重視され、一種の悟りの境地にまで導いていくことが、しつけの極意ともされた(ジャポニカ百科事典)。その過程で軍隊の訓練のようにスパルタ的な要素も強くあったことも事実だ。
その結果、戦後社会や家族の仕組みが大きく変わり、それに従ってしつけそのものの形は大きく変貌することになる。次回に続く。
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