2017.2.7 運ぶ(車輪)
生活文化の移り変わりを見ていく上で、大きな転換点がある。私はその分かれ目は、明治時代の欧米化が進んだ時期とそれ以前にあると見ている。取り上げる対象は、大体の目安として、明治から平成に至る近現代と江戸時代の近世という区分としたい。
今回のテーマは「運ぶ」であるが、私が生活してきた時間軸で見ても、大きな変化が見られる。幾つかの例を上げてみよう。
自分の経験した運搬具は車₍車輪₎の付いたものが多かったので、そうした運搬具₍自転車など₎に限定して思い返してみる。
小どもころの記憶を辿ってみると、はじめて自分で運転したのは三輪車がある。つぎのステップの自転車は乗りこなすまでに何回も転んで怪我をしながら体得したものだ(当時は補助輪等はなかった時代である)。
今住んでいる場所は登り坂が多く、いつか自転車に乗らなくなり、廃棄処分した頃に電動自転車が出始めた。今では我が家の近くの坂道を前後に子どもを乗せたママチャリが走り回っている。あれは画期的に自転車の性能を向上させ、廃れつつあった自転車を復活させた。
話を過去に戻し、戦後よく見かけたのは荷車である。動力源が馬だったかロバだったかは確かでないが蒸しパンを売りにやってくる馬車は記憶に強く残っている。牛を動力源としたのは今のバキュムーカーの元祖で 屎尿の桶を運搬する大八車とも呼ばれた牛車が定期的に回ってきたのもよく覚えている。
家にはリヤカー(金属製のパイプと空気入りタイヤで構成された2輪の荷車で荷物を運ぶために、自転車の後ろにつけたり人がひいたりする二輪車:WIkipedia)があって、それに小包を積んで駅まで、人力で運んだのを覚えている。今でも売られているようで、たまに見かけることがある。
このように物を運ぶのには昔から車輪(通常2輪一対)が付いた荷車が最も適している。
現代になると輸送手段はより多様化してきているので、これについては次回に譲る。
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