2017.3.17 数え方いろいろ(3)時間
「ひとーつ、ふたーつ、みーつ」という風に数を数えた覚えのある人は多いと思う。私の場合腰の養生のため、座り仕事の合間に体操をする。一回大体10秒であるが、その時頭のなかで時計代わりにこうした数字の数え方をする。「ひとつ、ふたつ、みっつ」では早過ぎる。「ー」を入れて数えると丁度1秒間隔になる。10数えると10秒になる。子どもの頃隠れんぼなどする時、鬼になった子は30数える間、目をつぶっていなければならないというルールがあり、これはできるだけ早く30まで数えなければならないから「だるまさんころんだ」を3回大きな声で叫んで、目を開けた思い出がある。これは数字の代わりに10個の文字を並べたもので、こんな数え方もあるということだ。
時は秒・分・時・日・月・年・世紀などと言った単位に分けることができる。このように今日では時間の数え方をこのように表しているが、江戸時代では全く違う数え方をしていた。
一刻千金という四字熟語にもあるように、江戸時代は「辰刻法(しんこくほう)」という時刻の表し方があった。これは十二辰刻とも呼ばれ、1日を12に分けたそれぞれ1刻がおよそ2時間になり、1時間は半刻と呼んだ。各時辰の始まりは初刻といい、中間を正刻と呼んだ。1日の始まりの0時は、十二支の第1である子の正刻となる。1日を12等分したため同じ呼び名の時刻がくるため、区別するため夜九つ、昼九つなどと分けて呼んだ。「おやつ」の語源は昼八つで丁度午後3時頃に当たる。江戸時代の生活は日の出に始まり、日暮れに終わるの繰り返しであった。朝晩に聞こえる鐘の音は「明六つ(日の出正刻6時)」と「暮六つ(日の入正刻18時」の鐘と呼び、これが朝晩の基準として昼夜はそれぞれ6等分された。これを不定時法という。
都があった江戸の町では、めざましい発展に伴い、武家・寺社・町方に共通の時刻制度を報じる手段が求められ、幕府管轄の下、最初に設置されたのは本石町(現在は日本橋小伝馬町)の鐘で、順次江戸城を囲む ①本石町②上野寛永寺③市ヶ谷八幡④赤坂田町成瀬寺⑤芝増上寺⑥目白不動尊⑦浅草寺⑧本所横堀⑨四谷天龍寺と9か所に設置された。松尾芭蕉は「花の雲、鐘は上野か浅草か」という歌を詠んでいる。
このようにして「時の鐘」は、江戸に暮らす庶民の生活のリズムを刻む鐘として日本人に勤勉さを植え付ける礎(いしずえ)となった と言われている。
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