2017.3.3 「しつけ」を考える(3)
しつけについて今までその歴史を見てきたが、今回から今の時代(現在)のしつけが、どのように行われ、そのように変わっていくのか検証して見たい。
私はどうだっかを見返してみると、幼少期は戦中で疎開先で育った。生きていくのがやっとの時代だったから、しつけらしいことなどは受けた覚えはない。田舎の子たちは都会から来た私をいじめるようなことなどしなかった。年上の子は良く面倒を見てくれ、遊び方を色々教わったものだ。戦争の中で子らは真っ直ぐに育っているようにさえ見えた。
戦争が終わり横浜に戻ってからは、大家族で上に姉が4人、兄が1人いて、彼らから学ぶという形が私にとってのしつけだった。どちらかと言うと自由放任主義というか、放って置かれたといったほうがいいかもしれない。朝晩の挨拶、食事のしきたりなどは大家族の中では自然に身につくものだ。それでも父親は煙たい存在だった。よく叱られた。亭主関白だったから一切口ごたえは許されなかった。親の言いつけは絶対で否応もなく、それが正しかったかどうかは疑問だ。それでも子は育つものだ。
自分が親になってから、私の父親を反面教師と考えて、叱ってこどもを育てる気はなかった。それでも仕事に追われて、育児や教育はすべて女房に任せきりだった。私自身も父親としては過ちを犯したわけだ。最近ではイクメンという男性が子どもを育てる家庭も増えている。これはいいことだが、それでも昔よりしつけは難しい状況にあるようだ。それは鏡のように今の若者に映し出される。
しつけが問題視されなくなった時代に育った多くの世代が、いま親になっている。社会が子どもを正しく育てる仕組は、今の日本にはできていない。しつけを受けない親が、自分の子をしつけることなどできるはずがない。しつけは子どもが安全にしかも社会の最低のルールを守る砦になる。今の親は、一体これからどのように子どもをしつけていくのだろうか。幼稚園や小学校に任せるとでもいうのだろうか。
大きな口を利ける立場にはないが、こどもは国の宝。正しく育つよう「しつけ」について、もう一度見直してはどうだろう。
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