2017.4.28 生活の知恵(その三)
卜占(ぼくせん)は占いのことであるが、なぜこれが生活の知恵になるのだろうか。いまでこそ文化や文明の発達によって消え去ってしまったかに見えるが、いまなお日常生活の中に息づいているものも少なくない。
人には未知の世界である前兆を知ること(今の科学でも未解明の部分が沢山ある)は関心のあることだ。
そうした前兆を知らせる才に長けた人を巫女や行者など卜占者と呼び、かつては職業化していた。
前兆は日常生活を中心に考えられる。農耕漁労などの生活に関係深い天候の良し悪しをはじめ、作物の豊凶、また出産、健康、長寿など、生死にまつわる前兆が多く言われ、人々の生活を律してきたものである。
前回でも紹介したように、天気を読むということは、農耕生活に深く関わりがあるもので、長い経験の蓄積の上に成り立つものである。卜占者などはこうした経験をもとに『ご託宣』のごとく語ることで、発言に重みを持たせている。
暦の知識や自然現象の知識に長けていることによってより信頼性が強まる。特に天候に関する占いは「当たらずとも遠からず」という諺に当たる。
「日本を知る事典」から種まきの時期に関して次のような記述がある「農作業の目安として、『種蒔き桜』 の例を上げると、花が咲く時が苗代に籾をおろす目安になる桜のことを桜の種類で種蒔桜とする場合と、特定の場所に立つ桜の古木を指すことがある。桜以外でも秋田県や岩手県では辛夷(コブシ)の花を種蒔桜と呼ぶところもある。また、山の残雪の形に、種蒔坊主、豆撒小僧などの名をつけて農暦とする地方も多い」のように、これらは意外に科学的な前兆の活用といえる。
身体の変調を何かの兆しと見る例も多い。これも同事典から「くしゃみの回数で『一ほめ、ニにくまれ、三ほめられて、四風邪をひく』などは何となく一理あるような言い回しも多い」といったように、古来より日本人(中国なども)は、前兆によって先を読む生活の知恵も持っている。
次回は「言い伝え(諺)」に基づく生活の知恵について、まとめて見ていきたい。
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