2017.5.15 ひらがなの生い立ち
普段文章を書く時、ひらがなを多く使う。もちろん漢字が入らないと読みにくいし、誤解も生じることになる。例えばこの行に書かれている「漢字」は「感じ」と同音で、入力の序列は「感じ」の方が上にある。しかし、一方漢字ばかりの漢文は中国伝来の言語体系だから、今の人には全く馴染まない。漢字とひらがなの文章中の割合は、自分の文章の場合大体25パーセントから30パーセントが漢字で、それ以外はひらがな又は記号である。
このようにひらがなは文章中で多用されている。このコラムでも「2016.4.12 いろは(仮名文字)」で簡単に触れているが、もう少し詳しくそのルーツを探ってみた。
ひらがなもカタカナ同様に漢字を母体にしているが、その成立過程は「漢字→万葉仮名→草仮名→女手(ひらがな)」という順で成立したと考えられている。ひらがな字源一覧表(クリックすると画像で表示)にあるように、かたかなの普及には万葉仮名の存在が重要であったことが感じ取れる。
安→あ、以→い、宇→う、衣→え、於→お(遠→を)のように簡略化されたものと考えられる。ひらがなはカタカナと違って、和歌・書道に大きな役割を果たしたものと思われる。ひらがなが生まれる過程では字体の統一は単純ではなく、そのくずし方によっては、かなりな多様性が見られ、中にはカタカナとも共通する字体は多く存在する。
俗に変体がなと呼ばれるものである。次にその例をあげると,、次のような文字がある(Wikipedia) 。「以(い)江(え)於(お)可(か)起(き)古(こ)志(し)春(す)多(た)奈(な)能(の)者(は)由(ゆ)連(れ)路(ろ)王(わ)」
ここで注目したいのは変体仮名という呼び名は、近代に入って平仮名の字体の統一が進む中でつけられたもので、元来、平仮名・変体仮名という区別はなく、近世までの平仮名使用者は様々な種類の平仮名を同時に用いて使いこなしていたのである。
平安朝初期までは男は漢字漢文で日記を書いていたが、紀貫之の『土佐日記』は、わざわざ「男もすなる日記、女もしてみむとするなり」と断っているように、当時は女性がひらがなで書いていた。そうした時代背景の中で源氏物語や枕草子など女性文学が開花したことになる。これらの文学も変体がなで書かれたものである。
こうして貴族階級から解放されたひらがなは、武士階級へ、さらには一般庶民層へと広がりを見せていくことになる。平仮名文学、あるいは草紙のような出版物、また手紙や個人の手記などについても、明治時代までは平仮名によって書かれた文章の多くが、今でいう変体仮名で書かれている。というのが「ひらがなの生い立ちと変遷」である。
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