2017.6.26 年寄りの暇つぶし(1)
このコラムが提供する話題について「そのネタ探しには結構苦労する」と、以前書いたことを覚えている。
実は一つ発見したことがある。それは今回の話題となっている『年寄りの暇潰し』は、前回のコラムの終りの方で書いた言葉の連想から書き繋いだ形を取っている。これは現在掲載中の「ことば遊びシリーズ」に、こういう遊びがある。それをコピーしてくると「あまり知られていない 『つみあげうた』ということば遊びがある、これは文章に後から文をどんどんと継ぎ足していく遊びのことで『きりなしうた』とも言う」という一文からヒントを得ている。
その考え方に従えば、これから書く話が、また次の話題に繋がるヒントを提供してくれる。この試みが成功すれば、ここのコラムはテーマに事欠かないことになる。実際うまく話が進んでいけば、これは私にとって画期的成果をもたらしたことになる。ただこれは仮定の話で、そんな美味しい話があるのか??
そこで今回のテーマに戻すことにする。
家の中で一日を過ごし、たまに散歩に出かける程度の無職、年金暮らしの老人は今や国民の三分の一に達しようとしている。
こうした人たちの一日の生活は、見方にもよるが「暇つぶしの人生」に映るかもしれない。
問題は我々暇つぶし世代の「暇つぶし」の在り方にある。終わりある人の一生の余生であるから、時間に限りがあることは共通している。その在り方とは時間の使い方をどうしているかということだ。
人は多様な生活パターンを持つことは前にも記したことだが、朝起きて夜寝るまでの間何らかの活動をして生活している。それは我々を支えてくれている現役世代でも同様であろう。その人たちとの大きな相違は生活のために苦労して仕事をしているところにある。
「この何らかの活動」の内容が、仕事をしているか、そうでないかの差で「暇つぶし世代」と一言で片づけられてしまうとしたら、情けないことと言うしかない。ひがんでいるように聞こえたら、お許し願いたい。今回はここまでにして、次回に「暇つぶし」属の一寸の魂を示すことにしよう。
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