2017.11.17 友情
私には50年来の付き合いのグループがいる(以前にも紹介した)。いわゆる同期の桜といった仲間たちである。在職中から同期会を作って毎年会合していた。その付き合いは退職後も続いたが結局麻雀ができる6人に絞られた。退職後の付き合いは麻雀を楽しむ会のようなものであるから、そのグループだけの会合が15年間毎年4回ほど顔を合わせる。
多分これだけ長く多くの回数を共にする仲間などそうざらにはないだろう。これだけ続くと一種の連帯意識なようなものが生まれ、スケジュール調整はするが、大体全員が揃うことが多い。麻雀に始まり麻雀で終わるのだが、今回は少し変わっていて、私は参加したが右手がまだ使えない状態で、麻雀はできなかった。
麻雀は4人で争うゲームだから、私を除いた一人が必ず抜けることになる。それが長い間で初めてゆっくり一人一人と話し合える機会を産んでくれた。いろいろな話ができたが、言葉の端々に私の体を心配する気持ちが感じられ、改めて友達とは有り難いものだと思った。
ここで「友情とは何ぞやと」とオーバーに語る気はないが、少し考えてみた。私の認識では友情が培われるのには長い時間がかかるということだ。大体50年の付き合いの中で生まれたが、一種の絆のようなものが生まれたのは退職後の15年の間である。双方を無条件で認め合うことができないと真の友情とは言えないだろう。少しぐらい諍いがあっても、すぐ忘れて付き合えるようでないと、本当の友情は生まれない。今回の私に対するいたわりの気持ちをお互いに抱くことも友情の証だろう。性格も年齢も趣味も生活環境も違う同士が意気投合できるということは半端な関係では生まれない。利害得失もなく、いわば義理人情の世界を共有する仲間と言ってもいいだろう。
お互いが高齢になり人生の最終地点が近いづいていることも認識している中で、一時青春時代に戻るのも同じような経験を長く共有した間柄だからこそであり、それも友情を築くうえで欠かせないものなのであろう。
もとより家族を一番大切にしなければならないことは言うまでもない。その次に大切なのは友情という無形財産だと私は思う。
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