2017.7.26 「掛け違い」の類
元来そそっかしい性分のせいか、細かい面でトンチンカンな行為がよく生じる。例えば上着の前ボタンを掛けたところで丈の食い違いに気が付く。よくある元来の意味のボタンの掛け違いである。こうした経験は一般的にもよく起こることだろう。
こうしたちょっとした「掛け違い」に類する行動は、他にもあるので、少し思い浮かべて見ることにする。
先ず家の入口の鉄製ドアの鍵だが、外から施錠するときは左回しで、開錠は右回しという仕組みなっている。ルールだから間違えれば「カチッ」と収まらず、なかなか一発で決まらないことがある。自然の流れの中の行為が間違うと「チッ」と思わず舌打ちすることになる。子どもでも簡単に学んでしまうことに、ミスをした苛立ちのような感覚を覚えるからだ。
扉と言えば店や医院は自動扉が多いが、今でも押したり引いたり式の古いものも残っている。これもよく間違える。「引いてだめなら押してみよ」のたとえ通り、扉に「押す」とか「引く」という表示があるのだが、何気ない行為の中で逆の操作をしてしまう。できればどっちを押しても開閉できるものに変えてもらいたい。引き戸はもっと始末が悪い。真っ直ぐ踏み込んでぶつかってしまう経験をした人もいると思う。これは一つの思い込みで、自動扉が普及したことに起因する。
ボタンの掛け違い同様に、着衣の仕方にも間違えは生じるものだ。下着には裏表(うらおもて)、後前(うしろまえ)の違いがあるのは誰でも知っている。多分暗闇で着替えれば、形が見えないから半数以上の人は間違えるだろう。ところが明るい場所でも私はよく間違える。裏表は気づかなくてもパンツを除けば実害はない。後前に関しては違和感があって着直す必要がある。
これらの誤りは感触でわかるように、永い間に身に着いた「感覚」によるもので、幼い子が左右反対に履いているのはよく見かける光景である。三歳も過ぎれば左右間違えることはない。体が覚えるからだ。
靴下や手袋は左右フリーのものもあるが、指の形は左右違うので、手袋などは左右違うものも多い。間違えればフィットしないので気が付く。それでもよく間違えるのだから、方向音痴同様の私の属性なのかもしれない。
こうして見てくると、普段あまり気にかけない物事が、それぞれに見合った機能を持っており、それが一種のルールになり、それに反すれば不都合が生ずることは避けられないようである。
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