2017.8.15 北斎の遠眼鏡
遠眼鏡(とおめがね)とは望遠鏡の古い呼び名のこと。なぜ、遠眼鏡を持ち出したかというと、HPで連載している北斎の絵をよく観察すると、北斎は明らかに遠眼鏡を使っていたと推察できる。富嶽三十六景の絵を参照しながら検証してみる。
01神奈川沖浪裏は高波の先に小さく富士が遠望される。これは広角レンズで撮った映像のように見える。次の02凱風快晴は大きく富士がクローズアップされている。これは望遠レンズ使った映像のように見える。同様なもには19山下白雨がある。北斎の作品で富士だけを主役にした作品は極めて少ない。次の作品 06東海道程ヶ谷は自然な人の目線で描いている。レンズでいえば標準レンズである。
当時広角から望遠までをカバーする遠眼鏡は無かったはずだ。ところが北斎はこうした構図を自在に使い分けている。幾何学的に分析しても何の矛盾も感じられない。
北斎にとって富士の立ち位置は、シンボルに過ぎないように思える。主役のほとんどは近景に視点が据えられている。04本所立川、24遠江山中、32尾州不二見原などを見ると、職人の仕事ぶりを前面に大きく描き、働く姿をダイナミックに描いている。多くの絵に見られるのは人に対する細かい観察力である。この時代にムービーのように、人の動きを画面に再現したということは並々ならぬ技の冴えである。
26江戸日本橋などは極端な遠近法で描かれており、西洋画に見られるデフォルメ(変形)の手法が用いられており、面白い構図となっている。ここでも運河で働く多くの人の姿が見られ、生活感が強く表現されている。
38甲州石班澤は彩色されたものもあるが、すみだ北斎博物館のそれは、青一色が基調となり、海に同化した漁師親子の姿を強く印象付けることに成功している。
こうして見てくると、北斎は遠眼鏡をあたかもムービーカメラのように使いこなし、次元の世界を自由に行き来して変幻自在の光景を再現しているように私には見えてくる。
北斎はこれらの作品を75歳から続々と発表している遅咲きの画家である。その活動は90歳まで続いたというから驚嘆するばかりである。100歳まで描き続けると豪語していたというから、遠眼鏡で将来を見越していたにちがいない。
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