2017.8.25 職人業(技)の時代(2)
普請というと大工仕事のみではなく、他の多くの職人が関わっている。壁を塗る左官、障子・襖を作る経師屋など、多くの分業が見られる。今では工務店がすべてを仕切っているが、当時はそれぞれの生業が独立して店を構えており、町にはそうした職業の店が軒を連ねていたものだ。
ちなみに、左官とは 建物の壁や床、土塀などを、こてを使って塗り仕上げる仕事、またそれを専門とする職種のことをこう呼んだ。経師屋は ふすま・びょうぶなどの表具をする職人で、表具師ともいう。表具師は貼るのが仕事だが、その骨格となる骨組みを作る人を建具師といい、障子、襖の骨、欄間、格子、連子( 木・竹などの細い材を、縦または横に一定の間隔を置いて、窓や欄間 (らんま) に取り付けること)などの仕事を行っていた。
子どもの頃あかずに眺めていたこうした職人たちは今でも店を開いているのだろうか。実家に帰り、今の町に戻っても、昔の姿は見る影もない。多分こうした職種は僅かに寺社等の修復する専門技術者として残り、それ以外はすべてがゼネコン配下に吸収されてしまったように見える。かつて伝承され家業として独立していた職人技は、今どう受け継がれているのだろう。中々見えにくい。家業として引き継ぐ世代が失われているのも事実だろう。
一方で、町医者とそれに付随する調剤薬局は代々引き継がれている。それは多分「医は仁術である」からではなく、儲かる仕事だからとみることができる。むしろ昔より職種で数は増えている。私が通う整形外科などは、世の中で高齢化が進む中で増え続けているようだ。この世界も このように分業化が進んでいる。
こうして昔見た職人業(技) の世界は、伝統的文化ともいえるもので、見習いから始まり修行が長く、高所を目指すとなると長い苦労を重ねて一人前になる社会であった。それに比べ、今では技術の進歩もあるが、家ですらパタパタと組み立てて、短時間で仕上げることが儲けにつながる訳だから、ここには細かいことに拘る職人技はすでに無用になってしまったのであろう。
こうして概観してみると、庶民文化の伝承がいかに困難なことかと実感される。
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