2018.2.10 「空っぽ」にして始める
HPをキャンバスに見立てて、自由気ままにエッセイ風の文章を書いたり、絵を描く作業が今の私の仕事である。出費ばかり多く収入はゼロだが、これが私の終生続きつづける生き甲斐になる仕事と心得ている。
今年で5年目に入り、そろそろガス欠を起こしていると見る向きもあるだろうが、テーマに従って書き続ける「描く」は原画は北斎であったり、写楽であったりと豊富で絵の素材には困ることは無さそうだ。危険信号が出ているのは、コラムを柱とした「書く」仕事である。中には引用で埋めることも多くなってきて、オリジナルな発想が浮かびにくくなっている。
要約『現成公案』を書き始めて気がついたことがある。それは、一度頭の中を「すべて空っぽ」にする必要があるというだ。これはパソコン用語で言うところのリセットして発想の転換を図ることである。この試みは過去にも書いたことがあるが、できそうでできない難関となっている。
さてどうしたものか、取りあえず「頭を空っぽ」にして瞑想してみた。すると何か肩の荷を下ろしたような軽い気持ちに切り替わった。「空っぽ」の状態だから、当たり前の話だが、何も浮んでこない。
客観的に自己を見直す。その過程をこうして書き綴ると、ここで一つの作品が出来上がる。このことは書くという仕事に一つの方向性のようなものを示してくれた。
これまでは無理に引きずって書くということもしばしばあった。特に引用の多いテーマはそれに引きずりまわされるため、自分のペースでコラムに仕上げるのは難しい。コラムは小論文ではないので、短い字数制限の中で話を纏めなければならないものだと思い至った。
これからはその都度リセットした頭の中で「何となくフット浮んでくる」そんなテーマを釣り上げて書こうと決めた。
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