日常細事2018


kiji


2018.3.14 未読の山
 仕事がら私にはかなりの蔵書がある。辞典または事典類を除けば、物書きに欠かせない情報源となる単行本が多い。これらは、個別のテーマでコラムを書くときに拾い読みしたもので、ほとんど通読すらしていない。こうした本は本立てに収まるものは、その居場所を得るが、その他は平済みで部屋を占拠している有様だ。女房には日ごろ「何とか始末して」と言われている。
 こうした書籍は読みかけで、表題にあるように未読の状態であるので、処分するわけにいかないし、その積もりもない。いつか読もうと時々思いついたようにページをめくるが読み切れない。その中途半端な状況に置かれた本が山をなすのである。
 小説のように読み始めたらやめられない本は、とっくに時間の無駄になるので読まないことにしている。ということは、ここに平積みされている本は何らかの専門性を持っている。日本の習慣や文化・歴史などを知る本は一気読みするほどの面白さがあるわけでもなく、難解なものも多い。
 例えば古典の徒然草や枕草子、方丈記などをまとめた一巻本などは全く手つかずの状態で書棚の中で眠っている。禅に関する書籍が他にもまとめて沢山あるが、「現成公案の巻」でも紹介したように、難解で数ページ読んだだけで根気が尽きてしまう。
 未読の山を制覇するには一にも二にも根気と辛抱が必要だ。
 これは当たり前の話なのだろうが、読みさしの本は元に戻って読んでも、それまでが記憶に鮮明に残っている筈もなく(それほど優れた脳をもっているわけがないので)ブックマークを付けてあっても、読み返しをしないと筋道を見誤ってしまうことがしばしばある。
 こんな苦労をしても、投資したものを少しでも取り返そうと未読の山を崩すことが当面の課題になっている。

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