2018.10.1 しつけ(躾)と行儀作法(2)
前回は自分の受けたしつけについて紹介したが、時代は大きく変わって、親が厳しく子どもを躾けるという姿は見られない。叱る姿はよく見かけるが、親の勝手でしかるというのが実態である。
行儀作法には三原則があるという。
「人に敬意を払う。物は大切に扱う。体の所作を整える」の三つである。こうした作法は日本が戦争に負けるまでは、しっかりした教科書(公民作法)があった。戦後はアメリカの指導もあり、行儀作法を教えるという道徳的教育は全廃された。それに代わって入ってきたのが、個人主義・平等主義を啓発することであった。これは道を踏み違えることが多く、自分さえよければよいという利己主義に取って代わられた。上下関係などというものは無視されたり、まして人への思いやりも、影が薄くなっていく状況が目立つようになってきた。
そこで今そうしたことの反省から、しつけ(躾・仕付け)について見直すことにする。
しつけとは、人間社会・集団の規範・規律や礼儀作法など慣習に合った立ち振る舞いができるように訓練することで、語源として二つ考えられる。その一つは、裁縫でちゃんと真っ直ぐに縫えるように、「あらかじめ目安になるような縫い取り」をしておくこと、それに沿って縫っていくことを仕付けということからきている。
もう一つは(行儀作法の教科書:横山験也より)「躾」という文字が示すように、自分の身を美しくするのが「躾」で、立ち方、座り方、着こなし、歩き方、物の渡し方・受け答えなど、親や先生先輩・上司がそれなりに教えてくれる。教わった通りにするだけで、社会人として「様(サマ)」になるものである。これが「躾」である。
次回以降では紹介した本に書かれている具体的な所作について「日常の作法」「礼・お辞儀」「会話」「姿勢・振舞い」「食事」などについて事例をあげて検証してみる。
この記事に関するご感想などを下記メールでお寄せください。comfree@papars.net
2013年の記事を閲覧するには日常細事のアイコンをクリックしてください。
©2013 papa's_pocket. All rights reserved.