2018.11.10 道具の移り変わりⅡ
白黒テレビの映像を初めて街頭で見た時の印象は今でも瞼に焼き付いている。力道山と木村政彦のタッグが、シャープ兄弟と熾烈な争いを繰り広げ、結局力道山の空手チョップで試合が終わるという、敗戦国日本の復活を象徴するシーンが繰り広げられたところにある。
この頃(1953年ごろ)Wikipediaによれば「テレビは非常に高価であったため、街頭テレビやキャラバン隊を通じて宣伝され、電器店の店頭のみならず銭湯や大型飲食店など集客能力の高い店舗から先に導入された。プロレス中継など人気番組の放映時には近隣住民が寄り合い、一同鑑賞する光景が当たり前のように見られていた」という記述の通り、わたしなども最初に書いように、街頭で観たり、喫茶店(今のパブリックビューイング)で有料で観ていた。
それほど人気は高く、これをきっかけに家庭にも普及し始め、「総合家電メーカーの市場参入による量産効果で低廉化し、1958年(昭和33年)の東京タワー竣工とミッチー(ご成婚)ブームを境に爆発的に売れ出した」とある。
これまで書いたのは、戦後日本の産業の復活を象徴する「三種の神器」のあらましであるが、このことは、家庭の道具が電化していく姿を浮き彫りにしている。
製造と消費で多くの電気を消費することから、電気の需要もJ カーブで増えることになっていった。 これを統計資料(ガス・石油等も含むエネルギー消費量)で見ると、1965年から1973年の第1次オイルショックまでの消費量は産業用で約2.4倍、家庭用1.7倍にもなっている。こうした産業の復興は、後に公害の種になったことも記憶しておかなければならない。
この時期が「三種の神器」に続く新たな家電革命が1960年代半ばから1973年まで続く、いざなぎ景気時代である。カラーテレビ (Color television)・クーラー (Cooler)・自動車 (Car) の3種類の耐久消費財が頭文字が総てCであることから、「3C」と呼ばれる時代に入っていた。次号はまた私の身の回りの道具の変化について記す。
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