日常細事2018


kiji


2018.11.21  道具の移り変わりⅤ
 仕事で編集作業に長く携わってきたが、文書作成は最初は原稿用紙のマス目に文字を書き入れるところから始まった。
  1978年東芝が初の日本語ワードプロセッサ(ワープロ)「JW-10」を発表 したことが、日本語文書をコンピュータで作成することができるという、編集者にとって衝撃のデビューであった。これが多くの人に燎原の火のように広まったのは、1980年代後半の東芝Rupoの発売で、私もこの機種が最初に手にしたワープロであった。
 これは編集作業に画期的な変化をもたらした。ワープロが活躍した時代は1990年代後半までで、愛用者が多かった割りに終わりは早かった。これにはパソコンの出現が大きく影響している。
 その背景には日本独特の事情がある。それは発明がガラパゴス化する傾向が強いからである。ガラパゴス化とは日本一国だけで進化を遂げるもので世界標準になろうという汎用性に欠けるからである。
 結局、今のパソコンはマイクロソフト社とアップル社のOS(オペレーティングシステム)がベースとなって、それに対応するアプリケーションに仕事をさせることになってしまった。この2社がパソコン業界の富を独占する形が出来上がっているのである。多くのハードウェアメーカーはその製品化にOSのライセンス契約をせざるを得ない状況が今も続いている。
 当然のことであるが私のパソコンも外国製(made in chaina)であり、このホームページを生み出しているのも外国製のソフトウェアである。
 日本の伝統と文化を伝えたいといくら意気込んでみても、この電子社会はインターネットやSNS(ツイッターやインスタグラムなどの簡便なコミュニケーションツール)といった外来の文化(カタカナの文化とでも言おうか)に頼っているという現実がある。次号は「電話」について記す。


 



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