日常細事2018


kiji


2018.11.7 道具の移り変わりⅠ
 80年も生きていると、周辺の環境は大きく変わるものである。今回は家庭にある生活環境の変化について、自らの体験から振り返ってみて、これから先のことも考慮に入れて考察していく。
 話は思い浮んだ成り行きで進めるので、まとまりを欠くかも知れないが、その点はご容赦願いたい。
 私が中学生になったころから、日本は徐々に戦後の回復期に差し掛かっていた。ちょうどこの頃、家庭内の生活を一変させる電化革命が起きることになる。電化製品の「三種の神器」の出現に象徴される変革である。これは歴代天皇に伝わる三種の神器になぞらえた呼称である。
 時代は1950年代後半で、「三種の神器」とは白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の家電3製品を指す。人はこの時代を神武景気と名付けて記憶に残している。
 それまでの我が家では、洗濯はタライ(盥)に洗濯板そして洗濯石鹸で衣類を洗濯していたものだ。冷蔵庫は木製枠の3つの開き戸の最上段に氷屋が運んでくれる角柱(15×15×40センチ)を入れて、内側はアルミで熱が逃げないように囲ってある原始的なもので、お店でぐらいしかお目にかかれない代物だった。白黒テレビはまだまだ先の出現で、ラジオ全盛の時代で「君の名は」という菊田一夫原作の放送が大人気で、放送時間には町の銭湯ががら空きになったという逸話も残っている。
 まず洗濯機は、日本でも1930年に東芝が第1号機を発売しているが、一般家庭に普及するまでには至らなかった。その後、1953年に三洋電機から現在の洗濯機の原点とも言える噴流式洗濯機が低価格で発売され、一気に家庭に広まった。今のような全自動ではなく、ハンドルを回して衣類を挟み込んで絞るという力仕事も必要だった。
 冷蔵庫は1930年代初頭に東芝と日立が第1号機を売り出した。当時家1軒が買えるという高価なもので、今でも企業博物館に所蔵されており、 2008年度に、経済産業省「近代化産業遺産」の1つに認定されている。三種の神器に入る冷蔵庫も当時1950年代ではサラリーマン10か月分の給料に相当する高根の花で、普及率50%を超えたのは1965年(昭和40年)なってからである。日本の驚異の復興劇は更に続く。



 



この記事に関するご感想などを下記メールでお寄せください。comfree@papars.net
2013年の記事を閲覧するには日常細事のアイコンをクリックしてください。
©2013 papa's_pocket. All rights reserved.