日常細事2018


kiji

2018.12.12  平成を生きて第1章
 来年には平成が終わり、新しい年号の時が2019年5月1日から始まる。そこで私が過ごしたこの30年間を回顧して、平成という時代がどんなものだったか年表などに照らし合わせて検証することにする。今回はその第一章である。
 1989年1月8日今上天皇(きんじょうてんのう)が即位し平成の時代が始まる(これは昭和天皇の崩御による皇室の継承を意味する)。これは来年5月に今生天皇が皇位を 徳仁親王(なるひとしんのう)第一皇子称号浩宮(ひろのみや)に生前譲位するのとは大きく異なるが、このことは最終章で明らかにすることにしよう。
 平成が始まった時日本はバブル期の頂点にいた(Wikipediaには「1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月までの51か月間に、日本で起こった資産価格の上昇と好景気、およびそれに付随して起こった社会現象とされる)。その当時私は50歳になったばかりで、社会人として最も充実した人生を送っていた時である。公務員は職務を自由に選択することなど許されない身分であったが、これからの7年間が自分に許されたベストな環境にあった。
 その頃私はあるプロジェクトに参加していた。金利が3%~5%で回るというバブル期ならではの現象が起きており、自治体はこぞって財団を設立して業務を外部に委託することが一つの流行であった。私はその財団設立に深く関わっていた。これは関係機関との間で多くの折衝が必要で自治体と民間機関との関係づくりが大きな柱であって、出資を伴うものであるだけに機微な問題にも目を離せない緊張状態が続いていた。
 世の中はまだ順風満帆の追い風で第3セクターと呼ばれる一つの運営形態の組織が誕生することになる。私の仕事は中小企業の情報化支援が最大の目的とされていた。世の仲で自分の立ち位置を知るには的確な情報を得ることが大切だという風潮もあり、そのことがこうした機関を生み出すことに民間企業(中小中堅企業の協議会)が集い、意見交換するというコンセンサスがほぼ出来上がっていた。この組織の運営は拠出金の運用(金利で人件費をねん出する)で成り立っていた。
 まずまずの門出は迎えることはできたが、ここにもやがてバブルが弾けることによる栄枯盛衰の短い歴史が待ち受けている。このことについては次号に譲る。

 



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