2018.12.16 平成を生きて第Ⅱ章
情報化の推進と言っても、県内・市内の経済情報の提供や動向を調査するといったシンクタンク機能と紙で情報提供するといった図書館機能がメインであって、余業として情報関連企業や団体に会議室を貸すといった便宜供与が主な事業であった。世の中は景気のいい時代であったからこそ成り立つものであり、県と市が行う融資とか公的支援を仲立ちする機能があったわけでもなかったことから、設立時昭和61年(1986年)は中途半端な存在であった。それでもここに横浜市とは普段不仲な神奈川県が関わったのには、裏に国が進める中小企業情報センター事業の受け皿としての位置づけがあったからである。
この頃新聞・雑誌などの紙で情報を提供する形態がパソコンを端末とするコンピューターによる提供に変わるというアナログからデジタルへの転換期に差しかかっていたいた。
そこに現れたのがパソコン通信でNECのPC=VANが先鞭をつけ、それに追随するように富士通のNiftyServeが事業を開始した。電子メールと掲示板が主なメニューで、それでも郵便に変わり文字を電信で送ることができることから、若者を中心に瞬くうちに全国に広まり、後にインターネットが広まったことで2003年3月でその短い使命は終わることになる。1986年という年は先に言ったようにバブル期の初めに当たり、日本全体がイケイケムードに包まれていた。
中曽根政権時代であるが政権は4年の長期にわたるもので、これを維持するため、途中解散し、衆参両院同時選挙を強行し与党自民党は圧勝した。後に中曽根は「正月からやろうと考えていた。定数是正の周知期間があるから解散は無理だと思わせた。死んだふりをした」と表現したことから「死んだふり解散」という解散名が定着した。
ネットワークビジネスの拡大とそれが世界に翼を伸ばそうとする矢先に、かの「リクルート事件」が起きる。「1988年(昭和63年)6月18日に発覚した日本の贈収賄事件である。
この事件は「贈賄側のリクルート社関係者と、収賄側の政治家や官僚らが逮捕され、政界・官界・マスコミを揺るがす、大スキャンダルとなった。当時、第二次世界大戦後の日本においての最大の企業犯罪であり、また贈収賄事件とされた」
当時リクルート会長の江副浩正は日本の情報産業の旗手(カリスマ)として、その名を轟かしていたため、多くの関連の業界人・政治家を巻き込んだため、これらの人材は排除された。この後遺症として日本の情報ネットワーク技術は世界に後れをとることになり、それを今に引きずっていると私は考える。(次章パソコン通信からインターネットへ)
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