日常細事2018


kiji


2018.7.31 日本の神様・仏様
 私のHPでも紹介している仏像画は、実は仏様だけでなく神様も描いている。
 私の頭の中では、神様・仏様を明確に分ける理由は無い。仏教と神道の違いはあるが、そもそも日本人は宗教に対して厳しい掟を嫌う。自分にとって都合のいい存在として神様や仏様がいる。
 ここで難しい宗教論を唱える気もないし、そんな知識もない。でも日本では古くから神様と仏様が同居しているのは不思議に思う。いつからこうなったのか興味がある。困った時(苦しい時)の神頼みという諺がある。誰でも知っている諺だが、これは「苦しい時の神頼みとは、日頃は神も仏も拝んだことがない信心のない者が、苦しい時や困った時や災難にあったりしたときにだけ、神仏に頼って助けを求めて祈ること」とことわざ辞典にある。
 この場合の神様は「神様・仏様」のことである。キリスト教やイスラム教の信者がこんな話を聞いたら、「unbelievable(信じられない)」とびっくりすることだろう。
 その原因は、古代日本社会においてはHP「字源」にも示しているように、生活していく上で神事や祭祀が最優先の事柄だったことは明白である。どの神様というのではなく土着の、俗に「八百万の神々」への信仰が長く続いていた。そこに中国経由で仏教が伝わり、「神仏混淆(神仏習合)」という考え方が生まれた。どちらも排斥し合うのではなく、日本人固有の柔軟な適応性のなせる技がそうさせたのである。
 文献によれば奈良時代仏教の「大日如来」は実は神道の「天照大御神」の化身であるとする「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」という説が「神仏混淆」の起源になっているのだそうだ。
 そうなると「神様・仏様」と一緒に念ずることに何の支障もなく、神々が身近な存在となり、生活する上であらゆる所に神々が存在することになった。
 この日本的宗教観は、他の宗教に縛られる諸外国からは異端と見えるかも知れないが、これは先人の知恵による「柔軟な生き方」を文化的遺産として今に伝えているのだと考えたい。




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